#4552

一直線の思考回路


俗に「なぜなぜ分析」という言葉があります。
仕事上で何か不具合や失敗が起きたとき、「何故それが起きたのか」と原因を追及し、
その原因と思われるものが起きた原因をまた追求し、これを5回繰り返すというもの。
別に自分はこれを実践しろと会社から強く言われてきたわけではないのですが、
ここ二年くらいの思考回路を自分で観察している限り、
「原因の原因はなんだろう」と考えることは自然と多くなりました。
きっと、ただ原因を知っただけではどうしようもないことが増えたからなんでしょう。
なにより、こういう考え方は一見どうしようもないような問題と対面したとき、
とりあえず自分なりの答えを前に出して楽になるためには結構有用だったりします。

例えば「睡眠不足が辛い」という悩みがあったとします。
・Q. 睡眠不足に陥るのは何故だろう? → A. 睡眠時間が短いからだ
・Q. 睡眠時間が短いのは何故だろう? → A. 朝起きなければならないのに夜更かしするからだ
・Q. 夜更かしをするのは何故だろう? → A. 寝ようとしても寝られないからだ
という風に続けるのですが、「5回」というのは結構難しく、
進んでいくほど自分自身の自尊心や慣習と密接に関わっている問題になってきたりします。
そこを考え尽くしてどうにか突破したとき、1回目の質問に立ち返ってみると、
なるほどこの悩みはここに根っこがあったんだな、とスッキリするというわけです。

そういうわけで一見して「なぜなぜ分析」は自己分析にも有用に思えるのですが、
最近このブログ上でこのような考え方が浸透してきたせいで
「たぶんこうだろう」的な推測の繰り返しのために
たまに突拍子もない (自分に都合の良い) 当て推量に話題が飛んでいるのを読み返すと、
結局のところ「5回の何故」も
客観的な審判が下されない限りは自分勝手な推測の暴走でしかないんだろうなと観じます。
「たぶんこうだろう」と決めつけることそのものは明らかに危険なのに、
それを5回積み上げたらますます客観的な考え方から乖離してしまうわけで。

ふつう、ひとつの問題は深刻であればあるほどいろいろな分野が絡み合っているため、
当然答えも一つでは済まないはずです。
よくイメージするのは将棋やチェスなどの先読みで、
多分そういうボードゲームを嗜む人の頭の中にはいろんな可能性が木のように分岐していて、
それらを総合的に処理していると思うんですよね。
一本だけの自分に都合の良い可能性しか目に入らない人はあんまり強くないはず。
「5回の何故」は前の答えが正しいという前提があり、
別の答えが存在している可能性をどうしても軽視しがちな自己分析なので、
掘り下げることが有用だとは言っても、そればかり過信するのもマズいんじゃないかと。

ただ現実の悩みは将棋のようにハッキリと結果をイメージすることは難しく、
「たぶんこうだろう」という段階から脱出できないことがそもそも悩ましいんですよね。
自分の考え方に確固とした「軸」が無い限りはやっぱり物事は推測しながら考えるしかなく、
他人の意見を取り入れるにも、身近な人間が絶対に正しいことを言うとは限らないわけで。
もうここまでくると何を持って「正しい」と信じられるのかさえ分からなくなるなぁ……。

こういうところに学生時代の勉強量や読書総量の差が浮き彫りになっていたりするんでしょうか。
あるいは、数学的論理観が身についていればこんな悩みも無いのかなぁとか。
と、油断すると頭がまた「勝手な推論」を初めてしまうのがとてももどかしいです本当に。
知識に経験が追いついていないのが悪いのか。
このまま愚直に過ごしたとして、
果たして悩むことそのものに悩むことが無くなる時期が来るのか否か……。