#4566

目標について


そういえば一年も半分を過ぎて年初の年間目標はちっとも達成できてないな、
と思って元日のエントリーを読み返してみたら、
今年はそういえば資格取得やプログラミング言語習得といった
二段飛ばしの目標は設定していなかったんだった、と思い出しました。
もうそういう半ば無謀な年間目標を立てるのがここ十年くらいの慣例でしたからね。
何らかの資格取得を目標に立て、夏頃になって「どうせ勉強する暇無いな」と思うまでがテンプレ。

今までその類の目標を設定したのに行動できなかったのは、
要するにそれは願望にかかわらず「必要ではなかったから」というのが昨今の自分の主張ですが、
改めて上半期を振り返ってみると、今年の目標に立てなかったにもかかわらず
今年は去年秋のブログ11周年を契機になんだかんだでWebプログラミングは続いているし、
それと仕事周りを筆頭に勉強の類はここ数年の中では比較的活発のような。
もちろんそれが「必要に迫られたから」出来ていると思うからこそ、
逆に行動できなかった自分に対して前述のような考え方が生まれるのだと思いますが。
じゃあ、ここでいうところの「必要である」ことの要件って何だろう、とふと考えました。
辞書的な意味としては、【必要】という言葉は次のように示されています。

[名・形動] なくてはならないこと。どうしてもしなければならないこと。また、そのさま。
(引用:デジタル大辞泉)


しかしどうやら自分は辞書通りの使い方をしていなかったようです。
日々の目標設定において、
「どうしてもしなければならないことかどうか」というところを突き詰めると、
それは去年以上の負荷はかからず、最大限にそぎ落とされた小さな目標になるでしょう。
ここでいうそぎ落とされた贅肉に当たる部分がいわば向上心であり、
向上心には「絶対に」「どうしても」「なくてはならない」という観念はありません。
ただ理想を思い描いただけでは具現化する段階で頓挫するのが常であり、
そんな失敗を思春期以来ずっと続けてきて出てきたのが
「それは必要では無かったからやらなかった自分は正しい」という結果論です。

結局のところ、結果的に具現化に繋がった向上心を素にした目標というものは、
ある集合のうち今の自分にしか出来ないと信じていたことに限られている場合が非常に多く、
終わったタスクに対して「必要だった」という言葉を引き合いに出すのは
それをもっともらしく見せるための言い訳の一種なのではないかと思うんですよね。

こうやって改めて文章化してみると、
今の自分のタスク設定の在り方は動機をあまりにも軽視しているなぁと感じました。
どの目標にも当初はそもそもそれをやりたいと思う衝動があったはずなのに、
「必要かどうか」を突き詰めていくうちに現実的に出来ることだけに絞られていくのは
もしかして物凄く勿体ないことをしているんじゃないかと思うし、
そもそも動機を無視して行動するには限界があるわけで。
もちろん妄想に忠実に行動したら収拾が付かなくなるのは明らかなので
取捨選択が大事なのは確かなんですけどね。
ただそろそろそのボーダーラインを今一度見直してみる時期には来ているのかも。

例えば非現実的な夢も細切れにしてみると意外とただの二連休でも実行に移せたりとか、
合理的でも何でも無い暇つぶしから新しい分野の可能性を見出してみるとか、
そういった正道でない道も模索してみないと、
このマンネリな日々ではそのうち限界が来てしまうんじゃないかと。
と、まさに今、自由時間の使い方を変革することが「必要」だと感じるわけですが、
しかし果たして本当に必要かどうか、そして行動できるかどうかはまた別の話。