#4592

足下を書き続けて


えーとリアルタイム執筆は五日ぶりですみません。下書きが溜まりまくっています。
外出イベントが続くだけでこうもあっさりブログ不安定になるのもどうかと思うんですよね。
まぁ単に周期的にアウトプット欲低迷なところもあるのでしょうが。

そんなブログ低迷な今日この頃、数ヶ月ぶりに大学院からいわゆる学会会報が届いていたので
1ページ記事担当の先生の文章を読んでいました。
自分の修了した大学では教授陣が持ち回りで会報に自由な記事を書くことになっており、
向こうから「この文を読んでくれ」と言わんばかりに封筒が届くのも
自分にとってはこれくらいのものなので、いつからか密かな楽しみになっています。
そして今回も流石に良い文章を書くなぁと、当時本当に申し訳ないくらいお世話にならなかったのに
今更のように畏敬の念を抱いていたりしました。
いやぁ、こんなに力強い文章を書けるようになったら日々もっと楽しいんだろうなぁ、と。
この界隈をどこまで極めたらこんなのをさらっと書けるようになるのか……。

また「ブログそのもの」の話題で申し訳ないのですが、
ブログ低迷期につまらないアーカイブを読み返していて今更ながら気付いたことがあります。
最近のブログは、というよりここ十年くらいの自分にとってのブログとは、
「いかに自分に内在する気持ちを文章に乗っけられるか」
に注力し過ぎていて、半ばそれそのものがブログの存続理由になっているのではないか、と。
要するに木っ端ちゃっぴーの連日お気持ち表明場だったわけです。このブログは。
だから、悩んでいること、羨んでいること、悔しがっていることが頭にあるときは、
それを出力する手段としてのアウトプットは比較的すんなり行く。
けれども、今日は自分の周りにこんなことがあって、それに対して自分の考えはこれこれこうで、
それに対して他人の考えはどうのこうので……という文章は意外と書けない。読書感想文も然り。
自分の心を観察する文章を書くあまり、自分の心から見た世界のことを文章化するのに
不慣れになってしまったように思うんですよね。
先々月頃から散々言っている「そろそろブログを変えたい時期に来ている」
というのは、そういう視点の転換の必要性に焦っている表れだと思います。

大学院の教授陣に迷惑をかけまくったあの修論に苦しむ日々も、
結局のところ、公にできる主観的文章が書けないからだったんじゃないか、と今は思います。
根拠の無い自分自身の観察日記ならいくらでも書くことができ、
しかも当時ですでに半角1000万文字の執筆経験があることが
「自分は他人よりも文章が書ける人間だ」と勘違いさせることに繋がってしまって、
研究論文に必要な公平さを文章に刷り込む技術の重みに気付かなかったんじゃないかと。
というか、文章執筆に必要なスキルがどれも同じならあんなに苦しんでいなかったわけで。

まぁでも、自分観察日記的でない文章なら公平なのかと言われるとそうでもなく……。
要するに今の自分は裏付け作業が面倒くさいからこういう書き方になっているのか?
アウトプット作業ってつくづく闇が深いなぁと思う今日この頃です。
もう少しレベルアップしたいところではあるんですけどね。切実に。
今のままじゃ大学院教授陣の足下に及ばないどころの話ではないので……。
そう言うと今度は向上心のおかげで余計に書けなくなったりするんですけどね。ホント難しい。