#4600

或る休日


小柄な女子が小さなアパートの片隅の部屋で寝息を立てていた。
窓から入ってくる日差しを避けるように、布団を頭の上まで引っ張ってうずくまっている。
ふと、布団の中から手だけが出てきた。それは周辺の布団を撫でるように徘徊していると、
やがて枕の下に潜り込んでいた携帯を見つけ、それを掴むと布団の中へ引っ込んでいった。

日差しの入ってくる窓の向こうからは、どこからか布団を叩く音が聞こえる。
もう少し近いところでは、ベランダを掃除しているのか、ほうきで固い床を掻く音が聞こえる。
相変わらずこの時間になると近くの電線では小鳥のオーケストラが始まる。
それらが織り混ざって彼女の耳にじわーっ、と染み込んでくる。そうだ、今日は休みなんだ。
彼女は休日にも関わらずいつも通り1限の開講に合わせて起きてしまった自分を褒め称えつつ、
二度寝を満喫するべく布団の中で寝返りを打った。

ベッドの正面から少し距離を置いたところに、
白地に茶模様の、長毛で尻尾の長い、青い目の太った猫がしっかりとベッドを見つめて座っていた。
猫は目の前の布団の膨らんだ部分の動向を一部始終見つめていたが、
寝返りを打ったのを見るやいなや、猫は「にゃーん」と布団の中にいるそれに向かって一喝した。
中のそれがもう一度こちら側に向かって寝返りを打った。
布団の隙間からのぞく寝ぼけ眼がこちらに気付いた。
「寝かせてくれえ……」
しかし目が合ってしまうと大抵、ニンゲンは主導権を奪われるものである。
電線の小鳥のオーケストラなど問題にならないほど、猫の要求は容赦がない。
彼女は渋々とかかっている布団を裏返し、灰色のジャージ姿のままむくりと起き上がる。
キッチンへのそのそと向かうと、足下の猫はそれに付いてくるように、
――いや、むしろ猫が先導してキッチンへと向かっている。まるでニンゲンを誘導するように。
彼女は小さな冷蔵庫の屋根にある猫用のカリカリを入れた瓶を取り出すと、
物憂い身体をしゃがませて足下の猫茶碗に少量のそれを投入した。
猫は茶碗と彼女とを一度ずつ確認してから、丁寧に前足を収納して茶碗に首を伸ばした。
やがてカリカリポリポリという乾いた音が聞こえてくる。

瓶を元の場所に戻し振り返ると、ベッドの上で散乱した布団に柔らかそうな日差しが当たっていた。
彼女は特大のあくびをひとつすると、右腕を上げ、小さな身体で大きく背伸びをした。
さて今度こそ二度寝するか。と思った束の間、右足に何かふわふわしたものが突撃してきた。
足下を見ると例の猫が彼女の右足に顔をすり寄せていた。
彼女がしゃがんで猫の目の前に手を伸ばしてみると、今度はそちらめがけて頭をぶつけてくる。
そして目が合うとやはり「にゃーん」と威嚇してくる。
これはヒト語でいうところの『おかわりをくれ』ということなんだろう。
そう思った彼女は腰を起こして、回れ右をして再びキッチンへ向かった。
瓶を開け、先ほどよりもう少し多くのカリカリを茶碗に入れる。
ところが、猫は瓶を取り出してから茶碗にあけるまでの一部始終の彼女の動向を、
さきほどの場所からじっと観察しているだけだった。

彼女が猫に再び近付くと、やはり足に向かって突撃してくる。
そしておもむろに床を確認しながら彼女の周りをのそのそと歩き出したかと思うと、
どってんと身体を右方向に倒して、大きくて白くてふわふわした腹を見せた。
大きな胴体の割に小さな前足は逆ハの字に折り畳まれ、
ピンク色の肉球が見える後ろ足はだらしなくこちらに向かって放り投げられている。
腹の向こうからこちらを見つめる目にはもはや威圧感さえ感じられた。
彼女はやれやれと言わんばかりに、小さなため息を吐きながらその場にしゃがみ、
その猫の白い腹を撫でてやろうとした。
すると、彼女の左手に向かって猫の後ろ足からのネコキックが炸裂した。渾身の一撃である。
しかし渾身のネコキックといえどもそれはふわふわな毛皮と肉球が当たった程度のことであり、
彼女はネコキックを食らいつつも容赦無く手を伸ばして腹から喉元までを丁寧に撫ではじめた。
猫は気持ちよさそうに目を閉じ、グルグルと喉を鳴らしながら、
相変わらずネコキックだけは休まずに飛ばしてくる。
彼女は机の上にあった猫用ブラシを手に取ると、今度はそれで腹を撫でていった。
おびただしいほどの毛が引っかかってブラシに溜まっていく。

一通りブラッシングが終わって手を少し休めていると、猫は突然起き上がり、
彼女の前を通り過ぎてキッチンにおいてある茶碗に向かっていった。
今度は素直にカリカリと食べている。
彼女はそれをしゃがんだまま遠くからしばらく眺めたあと、起き上がってもう一度背伸びをすると、
改めてベッドに乗って布団に潜ってみた。
しかしもう二度寝なんてできるような眠気は残っていなかった。

まあ、休日が少し増えたと思えばいいか。
そう思って彼女がシャワールームに消え、そして帰って着替え終わる頃には、
ぽかぽかとした布団の上で、長毛で真っ白で大きな猫が、
まるで夏休みに遊びを満喫して疲れ切った子どもかのように、大の字になって熟睡していた。

   ◆   ◆   ◆

昔々、遙か昔、あるところにいっぴきの猫がおりました。
猫は、ニャーと鳴けばごはんが出てくる仕組みがあったらいいのににゃあ、
ついでに雨露を凌ぐ屋根がほしいにゃあと思いました。

――そうして人類は誕生したのです。