#4609

根拠について


ブログを書いて何年か目で浮上してきた、語尾が「~と思う」で終わってしまいがちになる問題。
要するに、言い切れない。言い切ろうと意識するとかえって言い切れない。
根拠となる経緯までを調べるのが面倒だけど、結論だけは自分の文章としてアウトプットしたい。
そんな中途半端な承認欲求を放置してきた結果、
最近どうも何を発言するにしてもブログに物事を書くにしても、
自分が書くことはどれもこれも根拠のないものなんだなぁという諦めの気持ちが、
今までよりも強く出てきてしまっていて悩みの種になっています。

ここ五年ほどで、あるコミュニティで絶対正しく、当たり前に認知されているとと思っていたことが
別のコミュニティではまったく通用しないという経験をすることがとても多くなりました。
例えば同僚と友人。Twitterとその他のネット界隈。親戚と家族、などなど。
それらのギャップを目の当たりにするたびに、
今の自分が考えている「正しいであろうこと」は
所詮自分が所属するコミュニティでしか通用しなくて、
コミュニティの絶対数が少ない以上はほんの少人数が認めた正義でしかないんだなぁ、
とがっかりすることも間々あります。
突き詰めて考えれば価値観の差異がある限り「絶対に正しいこと」というものは存在せず、
例えばこの国で絶対正しいと思われていることも他国からは異常な光景だったり、
数学的には「1+1=2」は成り立っても他学問ではそうとも言い切れなかったり。
あるいは、Twitterで10万RTまで拡散されていた意見が
一般社会に出してみたら冷たい視線を浴びせられたり。

そんな中で、自分が自分として言い切った文章をアウトプットしていくのは、
改めて考えてみるとなかなか難しい問題のように思われます。
ブログを始めてしばらくはそんなことに気が回らなかったからこんな悩みも無かったのでしょう。
またTwitterもオープンなSNSとはいえ一定の「読み手」を意識してつぶやく場なので、
その一定数のフォロワーにある共通意識を把握できれば、
みんなにとって正しいであろうことを読み取ることはそこまで難しくないように思われます。
このブログはそういう、アウトプット先の範囲を定めてこなかったからこそ、
定期的にこういう問題に陥り、また文章そのものに長らく自信を持てていないのかもしれません。

でも逆に考えれば、読み手をハッキリと定めていないからこそ、
そこに縛られずに自由に物事を考えた結果をブログに純粋に垂れ流すことができていて、
「~と思う」文体はその証だと言えなくも無い……ですかね?

何はともあれ、これからも「自分の文章にいかにして自信を持てるか」というのは
悩み続けながらも書き続けることになるのではないかと思います。