#4615

未来へ


独り言


今日でこのブログも開設から丸12年を迎えた。

新しいルールを作ることを純粋に楽しめていたのはいつまでだったのだろう。
ブログ全体を振り返るたびに考えることである。
おおまかに印象だけで言えば、最初の六年間は慣習という名のルールを調整しながらも、
それに沿って楽しもうとする気概はあった。
震災後の六年間は、最初の六年で作り上げたルールに振り落とされないよう必死に走る日々だった。
それでも、過去の自分にできたことが今の自分にできなくなっていることを認めたくないからと、
過去の自分の作った土俵に上がって戦い続けていた。

12年目は現実世界のしがらみと折り合いを付けながら、
このまま続けていけるかどうかを年間を通して試す一年間であったように思われる。
相変わらずレールの外へ飛び出すことはできなかったが、
しがみつこうという意識が顕在である限り、現状維持に必要な燃料は意外と少ないことに気が付いた。

「自分のことを書く日記」としては、このブログは曲がりなりにも成熟してきたと思っている。
しかしそれと同時に、今現在のことを文章化する行為は本当に初歩的な表現活動であり、
それだけでは意欲的にも限界があることも思い知らされてきた。
現在の自分を表現できるようになったら
次は過去の自分をも包括した表現ができるようになりたい。
それもできるようになったら、未来の自分の代わりに文章を書くことへの挑戦が始まる。
それさえ満たされてしまったら、あとはおそらく他人の代わりに文章を書くしかないだろう。
言説の質を高めるということは、そのように何人か分の思考を凝縮することにあるのではないか。

過去の自分をどのように取り扱っていくべきか、
ということは人生観を作っていくうえで避けられない問題であると思う。
僕はブログを通じてその問題とこれからも向き合っていかなければならないだろうし、
そのために慣習と戦っていくことは肝要だと考える。
そのいっぽうで、過去の自分が作った土俵以外の場所にも視野を広げる時機が来ているとも感じる。
かつてそれらは二者択一の問題であると考えてきたが、
一年をかけて慣習の整理が進んだ今なら両立できることのようにも思われる。

ここ近年は、ブログを続けていくためには
既存の引き出しだけでは限界があるということをつくづく感じる。
書くためには物事を知らなければならない。
好奇心を燃料にして考えたことのないことを考えられるようになったとき、
初めて六年間の足踏みから一歩前へ出ることができる、そんな気がしている。

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