#4626

明日への連鎖


毎週土日に進める予定だった『ピクミン』本編ですが通過点と思っていた4日目で本格的にハマり
ここを突破するにはかなりの根気が要りそうです。
iPhone 7入手が最速で金曜日と考えると来週末三連休はそちらにかかり切りになるだろうし、
その前にやっておきたいことは一通り今週末で済ませるはずだったのに
気が付けばピクミン本編はさっぱり進まない、その時間コストの支払いで他の作業も進まない、
結果的にブログの下書きを片付けるだけで今連休が終わろうとしているわけですが。
未だにこういう非充実な連休を過ごしてしまうことはなかなか悩ましいことです。
いやもうホント何年経ったらスッキリするんだ、と。

例えば週末計画を立てる際、大抵は実行の前に明文化して客観視することになるのですが、
そのときに「やりたいか」「やりたくないか」という物差しで測ることは重要だと考えます。
しかしそこでつい忘れがちなのが「できるか」「できないか」という評価軸です。
理想が先行するとどうしても、まあ頑張ればできるだろうと甘く考えがちなんですよね。
過去の記事を読み返す限りでは自分は、
おおよそ隔年毎にこのどちらかを重視するスタンスを交互に取り続けてきたように思います。
「やりたい」ことを重視する革新の年と、「できること」を重視する保守の年と。
一年間綺麗にどちらか一方に思想が偏っているわけではありませんが、
年間計画がこのうちどちらかに当てはまる傾向があり、今年は保守寄りだと思っています。

単純にやりたいかどうかでタスクを組んでいけば
理想の前に手も足も出ない自分の実力にウンザリし続ける毎日が出来上がってしまい、
これは非常に非効率的です。
しかしできることだけを続けているということは大概過去の実績をなぞり続けることでもあり、
これはこれでマンネリ化に心がまいってしまいます。
なので今は「やったことがない、かつできそうなこと」を探す努力をいかに続けられるか、
がマンネリから脱出するための道筋になるのではないかと考えてはいるのですが、
反面何かに挑戦してみようという精神はもうここ数年働いていないような気もしていて、
それはそれで危機感があります。

ある意味、自分で自分に課す慣習というものはそれらから逃げるためのものなのかもしれません。
自分はそういう定期作業に藻掻きながらも処理し続けてずっと過ごしてきてしまったため、
例えばブログをはじめとする諸々が無い日々が唐突に訪れたとしたら
心の芯が抜かれてしまうかのような虚無感に襲われると思います。
だから、うんざりしながらも昨日の自分が決めたタスクに手をかける。
一旦始めたら「できそうにない」と分かっていても続ける努力はする。
そこに「やりたいか」「できるか」という判断は介在しないんですよね。
まぁ、だからこそ継続してこれたものもいくつかあるわけですが。

最近どうも、自分ができないことや知らないことが
とてつもなく沢山あるんだということに妙な焦りがあり、
そのせいで既存の諸々にイマイチ熱中できないもどかしさがあります。
しかしだからといって、新しいことに挑戦する気概があるのかというとそうでもない。
ピクミンシリーズの経験からも明らかなように
「できるかできないか分からないもの」は時間コストが膨大にかかるので、
保守点検をしていた方が堅実だし気が楽だというのは確かです。
ただそれらにとっくに飽きてしまっているのも薄々感じてきているし、
徐々に深刻になっているからこそ悩ましいのですが……。
この新しいものへの抵抗感の正体は何なんだろう……。
なまじいろいろなものを知ってしまった分、新しいものに対する先入観が強く出てしまうとか?
なんとなくですが「よく分からないものは必要ない」という合理的な判断を繰り返して年を取ったら、
下の世代から疎まれる、いわゆる老害になってしまいそうな気がしてなりません。
それを回避するための結論に、このまま考え尽くしたらたどり着けるのか、
あとは他人の助けが必要なものなのか……。