#4700

一方通行の話


一方通行の発言を好む人をよく見かける。
自分はこういう知識を持っているからそれを認めて欲しい、という欲求しか視界にない人たち。
彼らにとっては、コミュニケーションの相手に求めることは
素直にうんうんと聴いてくれることだけにあり、レスポンスなどは求めていない。
「それはむしろこうなのでは?」などと話の腰を折るような発言をするとみるからに機嫌を損ねるか、
聞き手が知りようのない、否定しようのない人物・事柄などを引っ張ってきて
「でもあの人も言っていたから本当だよ」と自分の論旨をゴリ押ししようとする。
自分は聞き手よりも上手であるという意識の強い人ほど、
このような一方通行コミュニケーションが発生しやすいように思える。
だから誰にでも起こりうる現象ではあるが、
自分よりも上手な人とのコミュニケーションを徹底的に避けてきたような人を見ていると、
相手の立ち位置の如何に関わらず、このような話し方しかできないような人もいるようだ。

彼らにとって「相手の知らない情報」を持つことは武器である。
もっと有り体に言ってしまえばそれがそのまま勝ち点に繋がると考えている。
相手の持っている知識をいかにして上回れるかという勝負のようなものだ。
こう考えている人間にとっては相手の意見を尊重しようという心の余裕などあるはずがない。
ここでは聞き手の意見などというものは、
話し手にとって情報量というパラメータにおいて「劣っているもの」でしかないからだ。
誰しも、磨き上げた自分の武器を持ちながら敗者の錆びた刀なんて奪い取ろうとしない。
それを奪おうと考えるのは、自分の武器が取るに足らないものだと気付いてからだろう。

ここで厄介なのがインターネットの存在である。
検索エンジンがネットの入口になって久しい今、
どんなことでも検索すればとりあえず何らかの情報は出てくる。
ありふれた検索クエリに対して上位に上がってくるのは
大抵出典不明のWikipediaか、匿名ユーザーのQ&Aサイトか、
それらをさらに匿名や二流以下の組織がまとめただけのキュレーションメディアなのだが、
とにかく検索すれば一見して誰にでも分かりやすいようにキーワードに対する解説は書かれている。

生身の他人の情報を信用しない人間、あるいは生身の人間との接点が無い人間にとって、
何かを話す際の武器や防具に相当するものは専らネットから拾い集めたものである。
それらは世間一般から見てもっともらしく書かれた情報であるかもしれないが、
決してそれが正道であるという保障は無い。
一概には言えないが、僕が見てきた経験から言うと、
インターネットに氾濫している情報というものは
往々にして常識的・一般的で当たり前な情報ほど書くまでもないと見なされ埋もれがちないっぽうで、
極端で少数派の意見ほど情報拡散の勢いが強く目立ちやすくなる傾向にある。
しかしネット「しか」見ない人間は、それが常識的か非常識的かを測る物差しは持っておらず、
あたかも検索上位や「いいね!」の数、
あるいはページビュー数が多いほど確からしい情報であるように錯覚する。
常識というものはある集団でしか通用しないコンセンサスであり、
ネットにはそんなものはいちいち明文化されていないために検索のしようがない。
だから、ネットだけを頼りに会話の武器を集める人間は、
常識かどうかはさておき識別されていない武器でも防具でもとにかく装備して会話に臨むのだが、
聞き手からすると、それは本当に目の前にいる人が喋っているのではないような違和感を感じる。
取って付けたような武器は所詮借り物に過ぎず、
借り物であれば話し手その人が喋る必然性がどこにも無い。
究極的な話、聞き手がその情報を知りたかったらそのキーワードで検索してしまえば良い。

さて、ご多分に漏れず僕も上に挙げた一方通行コミュニケーションしかできない人間の一人である。
ここ近年で、自分の話が単なる知識の披露にならないよう少しずつ意識してきてはいるが、
それでもまだまだ毒が抜けきったとは思いがたい。
コミュニケーション能力とは、知識量でも許容力でも性格の問題でもなく、
ただ純粋に「自分の感想を述べる力」なのかもしれない。
考えてみて初めて、そこで話す必然性や聞き手のレスポンスを尊重する意味が生まれる。
それ自体は、ネットで何らかのアウトプットをしていればさほど難しくはないと思う。
自分自身が直感的に感じる「良い」「悪い」「好き」「嫌い」といった抜き身の感情に対して、
素直に受容できさえすれば良い。
ネット上の情報のやりとりでは論理的で裏付けのある発言ほど尊重され、
個人的な感情を表に出す行動は嫌われる向きがあるが、
生身同士の声のやりとりは、キーボードで対話している人間にとって意外なくらい、
そういった感情的な感想を尊重してくれるように思う。

ネットに浸かった人間が生身のコミュニケーションを取ろうと思ったときに問題になるのは、
それよりもむしろ今目の前にある常識を素直に受け取れないことだろう。
目の前に見える小さな世間が当たり前に受容していることを、
いちいちネットという世界規模の視点から見てしまうためにどこか心許ないものに見えてくる。
しかしそれを世界視点から説明することはコミュニティ内では無粋なことかもしれない。
この辺の空気の読み方と言うべきか、暗黙上の情報はいくら検索しても出てくるはずがない。
検索すれば何でも解ると思っている人にとって、それはとても心細いことだ。

今更今まで得てきた出典不明の情報を忘れることなどできないし、
ましてこの悩みを検索して解決できるはずもない。
じゃあ生身の人間に訊けば分かるのかというとそうでもない。
しかしどうやら、誰もがネット検索できて当たり前になってきている昨今、
検索してすぐに出てくる情報そのものがすぐに装備できる会話の武器ではないどころか、
本当の「対話」から遠いところで束縛してしまう
「呪われた武器」である可能性は少なからずあるようだ。