#4706

副詞用法は伝染する


備忘録 文化

ここ半年~一年ほどで、周囲でやたらめった「ほぼほぼ」という言葉を耳にするのですが、
あれって何なんでしょうね?
意味的には「ほぼ」よりもさらに「全部」に近い、
もう満たしそうだけど必ずしも満たしているとは限らないような数量・程度を表しているようです。
「ほぼほぼ間違ってないけど、念のため○○しておいた方が良い」
「この作業はほぼほぼ終わっている」
みたいな感じで使っているのを聞くのですが、
たまに何の脈略も無い日常会話で使って日本語が崩壊しているのを見受けることもあります。
そこに「ほぼほぼ」は果たして要るのか、というような感じの。
軽く調べてみると自分の周りだけの現象ではないようです。

この言葉に限らず曖昧な程度を表す副詞というものは、
必ずしも断定は出来ないしこの発言に保障は掛けられないような状況であるとき、
責任をぼかすためにとても便利なアイテムです。
自分もおそらく書き言葉・話し言葉両方において、
こういった曖昧表現を単なる時間稼ぎに使っていることは否めないし、
さらに言えば語尾に「~と思う」「ではないだろうか」等の推量表現も漏れなくセットで使うので
過剰な曖昧表現になってしまっていることも間々あると思います。

まぁ、言葉がそもそも完璧ではないので、言い切れない場面が多いこと自体は自然なのでしょうが。
不思議なのは、こういった副詞の使い方が話者を伝って伝染することです。
今の会社でも、誰かが「ほぼほぼ」を使い始めたなと思ったら
いつの間にかほとんどの人が使うようになっていました。
自分もそろそろ口をついて出そうになることがあります。あの感覚は何なんだろう本当に。

その時代の女子高校生が独特な言葉を使っていてよく取り沙汰されるのを見ていて思うのは、
このようにある界隈で流行る言葉というのは、
その界隈に帰属していることをお互いに確認し合う合言葉としての用法が主で、
自信が無くて話す事柄を言い切りたくないとかそういう意図があるわけではないのかもしれません。
個性の主張として使うにしても、見えないファッションとして使うにしても、
その言葉について相手との認識が同じでなければ失敗してしまうわけで。
例えばある言葉を詩的解釈から格好いいと思った言葉を多用していたら
一般的にはドン引かれるようなワードだった、などということになったら黒歴史待ったなしです。
まぁ、自分の場合は本当に言い切れなくて曖昧表現を使っているところはありますが。

黒歴史でひとつ実例を挙げておくと、自分の高校三年当時のクラスでは
一部男子の間で「死ねばいいのに」というワードがプチ流行語になっていました。
なんでもバラエティ番組が発祥の流行語らしいのですが、
一度だけ自分も実家の夕食中にうっかり使ってしまいお茶の間が凍ったことがあります。
その言葉を知っているコミュニティの外でうかつに使うと失敗するという例として
今もなおたまに黒歴史として思い返しては恥ずかしくなります。
まぁ、なんというか高校クラスメイトの頭の悪さを如実に表した言葉でもあると思いますが……。
なんであんな言葉が流行っていたのか。

あるコミュニティの共通認識として挨拶のように使える言葉があると、
それを発しただけで自分はこのコミュニティに所属しているんだという気がしてきて
(言葉の意味そのものはさておき)それとなく安心感を感じることができます。
そこに流行語としての本質があるんじゃないかと最近ようやく思うようになってきてはいます。
でもなぁ……。高校当時のアレは論外として、「ほぼほぼ」を仕事で使うのもどうなの?
という気持ちは正直無くも無いけどなぁ……。合言葉として受け流すべきなんでしょうか。

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