#4718

転機にして起点


文化


動画共有サイト『ニコニコ動画』十周年に寄せて。
知人から教えてもらってその存在を知ったニコニコ動画は当時まだID60万台でしたが、
それでも膨大なトラフィックを抱えきれなかったらしくしばらく入場制限が続く日々でした。
2007年の05月過ぎ頃にたしか77万7777番まで一気に解放する日が来て、
それでようやく自分も一般ユーザーの仲間入りを果たしました。
当時は日間ランキング100位までをざっと眺めるだけでも楽しい毎日でしたね。
ネット文化の一等地を追いかけているような感覚でした。
文化の流れ的には、最初期のニコ動は
それこそ2ちゃんねる文化やFlash文化を引き継いだような雰囲気がありましたが、
人気動画の流行り曲をメドレーにした『組曲「ニコニコ動画」』が投稿された辺りから
本格的にサイト独自の文化が始まったような気がします。
個人的にはそれも相当聴きましたが『うらのうら音楽祭』というメドレーが密かに大好物でした。
もちろん二つのメドレーに出てくる原曲は(ニコ動の中で)すべてチェック済みでした……が、
今となってはいくつ思い出せるのかも怪しいです。
他人の動画をマイリストに入れない主義だったのでお気に入り動画の痕跡も全くなく。
ただ当時は良くきしめんとか陰陽師とかおくせんまんとか呪文のように連呼していたものでした。
よくもまあ臆面も無くあんなことを言っていたなぁとつくづく。

もう繰り返し書いていますが、
この動画サイト勃興と『らき☆すた』という日常系アニメが重なったことで
そのMAD作品などを通じて自分もアニメを知り、そこそこハマったのも2007年夏の話。
さらに同時期、これと言って目的も無いのに少ない所持金を削って
ゲームプレイ録画のためだけに中古のDVDレコーダーを買い、
ひたすらピクミンに明け暮れた2007年冬……。
今のスタイルのような音楽を聴く習慣が根付いたのもこの頃か。
返す返す、自分にとって2007年は良くも悪くも転機にして起点の一年だったと思いますが、
それに少なからず影響を及ぼしたのがニコニコ動画文化でした。
2007~2008年の二年間、600kbps制限の解像度512×384という制限内で
何度flvファイルやmp4ファイルを量産したことか……。
その割には総投稿数はさほどでもなかったり。

とはいえ結局長続きはせず、周りの大学生にも浸透する頃にはすでに飽きかけており、
今や当たり前になっている実況文化や生放送が本格的に台頭してきた辺りから見なくなり、
専らピクミン動画を投稿するだけの役割に落ち着いて今に至ります。
そういえばあたかもニコニコ発の文化として当時あれだけもてはやされたボーカロイドも
今となっては大分鳴りを潜めましたね。
ゲーム実況だけがYouTubeとの相乗効果で相変わらず表舞台には出てくるけれど、
それ以外はニコニコ動画内だけの文化として落ち着いたかの観はあります。
なんかこう、古き良き2000年代後半のネット文化をそのまま閉じ込めたような印象。
もっと言えば当時中高生くらいの世代が内輪でわいわいしているようなイメージです。

自分が長続きしなかったのは動画クリエイターとしての芽が出なかったというのもあり、
ROM専では限界があったからなんじゃないかなーと思うわけですが、
それ以上に自分のちょい下世代の空気にあまりにもニコ動文化が接近していたこともあり、
「あんまりニコ動好きアピールすると子どもっぽい」と思っていた時期があることは否めません。
それが敬遠するきっかけとなり、ひいては動画制作から引退するきっかけともなったのですが、
今思うともう少し頑張っていろいろ制作してみても良かったんじゃないかなとも思います。
少し前にも書きましたが、本当に自己満足だけを原動力に全力になれたのは
まさに2007年前後が自分にとって最後でしたからね……。
今はやっぱりどうしても他人から一定の評価が約束されていないと頑張れる気がしません。
かといって一定の評価を得られるほどの下地があるわけでもなく。
この辺に、純心であるうちに様々なことに挑戦する意味があるのかなーと、
約十年前の黒歴史の日々にいろいろと想うことも多い今日この頃です。

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