#4739

振り返った思い出 2016

一年はいつもこれから365日をどう在りたいかについて思案を巡らせるところから始まる。
抜けるような青い空の下、真っ白なゲレンデの頂上の上に立つ。
麓にはきっとあるべきものがあるのだと、期待と不安とを背負いながら滑り抜けていく。
一年は滑り出してしまえばもう取り返しがつかない。しかし軌道修正はできるはずである。
一年の滑り出しに大きな決心を必要とする場合、
滑っている最中に同じ決心を行動に換えるときに勇気というものが要る。
それを持ち合わせていないときに僕は常に、見えてくる麓が正しいと思い込むことで、
滑っている最中の判断を先延ばしにしてきた。
それらは一年の終わりにすべて返ってくる。
一年の抱負は何かと問われたとき、思い浮かぶのはやはり一年の理想に他ならない。
そうやって僕は最初に100点満点の何かを作って、1点ずつ下っていくことで年末と向き合ってきた。

2016年は自己満足に対する限界を強く実感した一年だったように思う。
自分で自分に鞭を打つことそのものに限界を感じたわけではなく、
他人のためという動機を得たときに、その効率の良さに気が付いてしまったと言うべきか。
見てくれる人、褒めてくれる人、自分が教えるのを待っている人がただいるだけで、
長らく動き出せなかったことがポンと背中を押されるかのようにすぐに行動できたりする。
もしかして、ひたすら悩み尽くして答えを出すことはとても効率の悪い生き方なのではないか、
と思うようになった。
自分を自分で見ようとするより、他人が自分を見た方が正確だし早いに決まっている。
問題はそうやって他人に認識してもらったとき、
自分の思い描く自分と他人が下す評価との食い違いを受け入れられるか。
他人の言動が自分を否定しているように聞こえたとき、それを冷静に判断できるかどうか。
自分自身を客観視することは、
単に他に自分を説明してくれる人がいないとき都合の良い代弁のためにあるわけではない。
本当はそのように冷静な対話をするためにあるのだと思う。

2016年は可も無く不可も無く2015年の続きだった。
このループを抜け出したいと考えて一歩目を踏み出す行動力はあったと思う。
2017年へは二歩目を踏み出す決心を持っていきたい。