#4742

それぞれが歩み出す為に


今回の帰省で強く感じたことが二つある。
まずひとつは、祖父母から見た孫世代と祖父との間に大きな心理的な壁があるということ。
「祖父には孫世代の言い分は理解してもらえない」
という共通認識を確認し合うような三日間であったように思う。

去年末に自分と同世代の従姉が結婚したことがそもそものきっかけだった。
この三日間、同席した際に祖父からは「お前たちも早く相手を見つけなさい」しか聞いていない。
恒例の新年の挨拶は「俺も平均寿命まであと何年しかないんだから、
お前ら11人は早く相手を見つけること、まず年長から順番に云々」
ということを力強く熱弁していた。
祖父には、僕たちが結婚以前の段階で様々な前進と後退を繰り返していることが見えていない。
きっと老後生活が酷く虚しいのだろう。誰かに自分のことを認めて欲しくて仕方がないのだろう。
でなければ孫の前で平均寿命のことを言うだろうか?

もうひとつは、自分たちは家族単位で見下されている節があるということ。
これは詳細を書くにはあまりにも危険なのでここでは割愛するが、
大雑把に言えば、自分たち長男家は他と比べてあまりにも社会参加の姿勢、
あるいは孝行や相互扶助といった精神が足りなすぎるということを突っ込まれた、ような気がする。
「ような気がする」というのは、
祖父はもう2日目つまり2017年に入ってからは泥酔状態が続いて呂律が回っておらず、
断片的な言葉しか聞き取れなかったからだ。
だから上に書いたことは多分に自分の一方的な解釈も含まれているのだと思うが、
とにかく祖父が思い描く「家族」と、実際の家族との実像がかなりかけ離れていて、
それをどうにかして欲しいという強い思いがあるのだろうということは分かった。
祖父は3日目に至っては朝から酒を飲んで、帰り際まで一人で訳の分からないことを言っていた。

お互いに干渉し合う関係性において、コミュニケーション不全に陥ることは不幸でしかない。
それぞれが「こうなって欲しい」「それはやらないで欲しい」という気持ちが累積して、
しかもそれを昇華する手段を持たなくなってしまうからだ。
お互いに赤の他人であればどんなに楽だろうと思う。しかし血縁関係があればそうもいかない。
今回の祖父の言動は、自分の言いたいことが言えずに溜まっていた何かが爆発した結果だろう。
そして悲しいかな、それに対して孫の誰一人として共感するものはなく、
むしろ疎ましく思う声が大多数だったことは、
往年の帰省の在り方の間違いをそのまま体現しているかのように思えた。

僕たちにとって帰省は物心付く前からある、長い歴史を持つ行事である。
それは本来祖父母と会うためではあるものの、同時に親戚とも会うイベントでもあった。
いつの間にか帰省と言えばイトコと会うためのイベントであるようにずっと思っていた。
50も年上の祖父母と同世代のイトコと、どちらが打ち解けやすいかといえば、やはり後者だったのだ。

そうやって帰省は同世代同士の文化の共有に飲み込まれた。
2003年までは外で遊び回り、2004年から2013年頃まではゲーム機が常に中心にあり、
そして今はアナログゲームがそれに立ち替わろうとしている。
そのいずれにも祖父母は登場しない。入ってこれるわけがない。
自分の家に来るやいなや早々に全員部屋に籠もってゲームを始めてしまう孫たちの背中を、
さぞかしやりきれない気持ちで見ていたことだろう。言いたいことはたくさんあっただろう。
それが積もり積もって今回のような事態を招いたのだとしたら、非は僕たちにあるのかもしれない。
むろん、今すぐ結婚のために奔走すべきかどうかは相変わらず個々人の問題であろうが。

「早く結婚して欲しい」
言いたいことはそれだけではなかったと思う。僕もこんなところで逃げ口上を書くよりも、
本人に言わなければならないことはたくさんある。
しかし、それでもお互いの主張を否定できない束縛感が、祖父母家には確かにある。
否定したら面倒くさいと思われるほど孫世代が自己中心的だということなのかもしれないし、
孫世代を否定するほどの何かを祖父母世代は持っていないということなのかもしれない。
この家では否定ありきのコミュニケーションが何一つ成り立っていない。
お互いに無知無学だからこそ、
あるいは信頼関係でないからこそこんな事態に陥っているのだろうという気はする。
今更もうどうしようもない、と言ってしまえばそれまでなのかもしれない。

しかしそれでも、血縁関係がある以上は
お互いの行く末を見守らなければならない運命からは逃れられない。
僕は、一個人としては酒好きな祖父を尊敬もしていないし、何か学べることがあるとも思っていない。
しかし客観的に見た家族がどんなものなのかという現実と、
そこで自分が足掻き苦しんでもやらなければならないことを見極めることは、
祖父を通じて理解しなければならないのかもしれない。
2017年は、血縁関係内に膿のように溜まっている
「伝えるべきなのに伝えていない何か」と向き合うべき一年になる予感がする。