#4758

立ち返る好奇心


文化


東京に行っている間に巷ではセンター試験があったので、
先日新聞を開いて現代文だけ解いてみました。……思ったより思わしくありませんでした。
ここ近年はスルーしていましたが、
大学時代~大学院時代は毎年この時期になるとこうしてセンター試験現代文だけは解いてみて、
そして同じような酷い点数を取り、
自分がいかに基礎学力の面ではただ成長した気になっているだけかを思い知らされるわけです。
今回は小説はほぼ全問出来たのですがその他が全滅でした。
論理的思考が欠けてきているんでしょうかね……。

「ひとは何故勉強しなければならないのか?」
(あるいは、学生は何故勉強しなければならないのか?)
というある漠然とした問いは、高校時代から延々考えて未だに明確な答えを持っていません。
しかしそれをもう少し絞って「社会人は勉強するべきか?」という問いに変えたとき、
例えば仕事に直結する勉強は、巡り巡ってお金に換わることが分かっているので
それだけでもそれ自体は有意義と言えます。
じゃあさらに絞って、今改めて高校や義務教育の学習をやり直すことに果たして意味はあるのか?

年一度くらいふつふつと、高校の主要科目をもう一度勉強し直してみようかな、
と思い立ち、そして結局勉強しないということがある自分なのですが、
今回社会人になって久々にセンター試験を解いてみて
改めていかに今の生活が勉強から離れているかを思い知り、
せめて国語界隈くらいはおさらいするべきかもなぁと改めて感じました。
前はこれが特に意味もなく英語とか数学だったのですが、
まったく違う分野をいきなり興味本位だけで始めるには時間が足りないという結論に至りました。
とはいえ興味本位だけであとは何も要らないのが高校の主要科目の素晴らしいところであるわけで、
あんまりハードルを高く感じる必要も無いのかもしれませんが。
ともあれ、今現在の勉強は読書がまさにその代わりだと思ってきましたが、
そこに教科書を読むという選択肢を入れてみるのも面白いかもしれません。

これはもう今年のブログで何度も書くんじゃないかと思いますが、
12年以上日記系ブログを続けてきたおかげで
自分なりの世界観・倫理観・道徳観を
自分なりの手法で表現できるようになってきているとは思うけれど、
それはやっぱり「自分なりの世界」でしか通用しない話で、
より多くの他者を説得したければ学問をはじめとした
広く認められた知識をもっと吸収する必要があるのではないか、と。
「自分なりの世界」でしか通用しない手法に飽きつつあるということは
2016年半ばほどからふつふつと感じてきたことなので、
今年一年間はもしかするとその辺の変革突入期になるのかもとは思っています。

そういう意味でも、ごくごく一般的な基礎知識であるところの小中高の教材というのは
知識吸収を考え直したい自分にとっても良い教材なんじゃないかなーと思うわけです。
問題はいかにモチベを保つかというところで、
競い相手も先生も居ない環境ではここがまさに難所なんですよね……。

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