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対話以前の段階


なんだか最近、考えない方が無難そうなことを考えてしまうことに悩んでいるのですが。
前記事も然り、他にも例えば信頼関係って何だろうとか。
こういった他人ありきの物事は、自分なりの答えを出したところで
結局他人の考えには合致しないことが多く、
むしろ考えれば考えるほど他人の考えから遠ざかることが多いような気がするんですよね。

例えばお互いに信頼している関係って何だろうということを改めて考えたとき、
今時点でそれは「一対一の対話において、相互に否定する余地を残せる状態」だと思っています。
お互いが相手に対して認めて欲しいという気持ちに心が占領されていると
否定する余地は絶対に生まれないし、否定しても良いよという前提で主張することは、
自分の意見とは別に相手の意見をも尊重していることになると思います。

人と話すことを改めて考え始めてからすごく感じるのは、
いわゆる「コミュ力の無い人」というのは実は自分から発話することが苦手なのではなくて、
他人に否定されることに慣れていない人のことなんじゃないか、ということ。
必要以上に物事を否定的に捉えてしまう思考回路は、うつ病などの精神系の疾病や
思春期の家庭環境や学校環境によって歪んだ性格が主な原因になるらしいのですが、
実際にはそういったものに関係無くかなり多くの人が当てはまるように見えます。
少なくとも自分の周りで、他人に自分の主張を否定されて、本当に冷静に返せる人はいません。
否定された方は必ずといっていいほど自分の主張の正しさを補足するための主張をします。
まぁ、否定されれば嫌な気持ちになるのは当たり前ということなんでしょうし、
自分個人との対話においては、
そもそも自分がそこまで信用されていないということなのかもしれません。

しかし、かといって「絶対に否定されたくない」というオーラを醸し出す雰囲気の中で、
どうやって「それって違うよね?」と歩み寄るのに必要な度胸というのはなかなかのもので。
結局それをしてみて面倒くさい反応が返ってきたりすると、
もういいやと聞く専門になってしまうというパターンが良くあります。
そうするとしばらくして会話のバトンを積極的にこっちに手渡してくれる人もいますが、
大抵の人は主張しっぱなしになります。きっとこちらの話に興味が無いのでしょう。
繰り返しになりますが、これは自分個人だけでなく自分の周りの対話でもよく起きている現象です。

つまるところ基本的に人は主張したがりで、
他人の話に興味を向けることがそもそもあまり多くないことなのではないか、と。
情報過多で誰もが最新ニュースをいつでも摂取できるようになってしまったので
なおさらその風潮が強まってしまっているのかもしれません。

さて、自分が対等に話し合えるという意味で「対話」できる日が来るのはいつになることやら。