#4872

早朝に試される精神


九連休明け出勤日はとてつもない吐き気に苛まれながらの通勤でした。
仕事がうまくいかない等の理由で会社にいくと嫌なことがあるという確信があると、
こういう風に早朝に胃が不調になる原因になるんだそうですが、
閑散期の今、モチベ最底辺とはいえ特に自分が仕事で責められるような流れでもなく、
やっぱりこれは生活リズム激変による身体的な不調の現れなのかなぁと思っています。

同じような感じで大学院時代終盤にも早朝に吐き気が止まらなくなることがありましたが、
当時は休みの方が多いのが当たり前、大学に行くのはたまにしかないイベントで、
だからこそつらいという心境がありました。
今回の九連休明けもそれに通じるところがあるような気がします。

まぁ、定期的に書いていますがあれは完全に精神的な原因もあったように思いますけどね……。
劣等心の塊だった当時の自分が、修論に関するあの諸々の環境に耐えられるはずがないよなと。
立場も年齢も境遇もそれぞれの社会生活は
「あの人はあんな風だけど、自分はここまで頑張ればいい」
という割り切りが比較的しやすいように思うのですが、
大学院の場合は基本的には同年代が隣で同じ目標に向かっているわけで、
しかもゼミを通じてお互いを評価せざるを得ない環境にあると。
さらにはコミュニティが狭いので
学部と違ってやる気のない不特定多数に埋もれてやり過ごすこともかなわないと。
今思えば過酷だったなと。
そういう意味でも「学校生活」そのものに
適さない人格・性格というのはあるんだろうなと、改めて感じます。
学生時代が終わった今改めて考えてみると、
物心が付いてまもなくから18年間同世代としか接することができないというのも不気味だよなぁ。

ともあれ自分にとっての大学院生活は過酷だったからこそ、いろいろと破綻したこともあり、
また学部とは違う経験を得られたんだろうなあとも思いますが、
実際のところあの二年間が何だったのかというのは改めてよく分からなくなっています。
何にせよ大学院という場は、否定されることに慣れていること、
あるいはそうならねばならないという義務感を背負っていなければやっていけない場所だと思うし、
そういった能力を得るためにも結局のところコミュニケーション量が大事になってくるんでしょうね。
あるいは圧倒的な物事への探究心があればそういうスキルも不要なんだろうか?
大学院生活がなんだったのかという以上に、
大学院という場が何なのかがよく分からなくなっている今日この頃です。
でもまぁ貴重な二十代初頭の思い出として、
あれが自分にとってなんだったのかという疑問に対してはスッキリ答えられるようになりたいですね。
それは大学院時代に限らず、それ以前の時代についても言えることですが。