#4899

引き出される妄言


自分が持っている知識そのものと、
周りが自分に対して「この人はこれくらいの知識ならもっているだろう」というレベルがあるとき、
後者がたまたま前者を上回ったときの歯がゆさをどうやって受け止めるか、
というのは知識探求を続けていくにあたってわりと重要な問題であるように思います。
例えばコミュニティに所属し続けると「この分野はこの人が詳しい」というようなレッテルを
多かれ少なかれ認め合うようになると思うのですが、そういう期待の目で、
自分が詳しいと思われている分野でたまたま自分が知らないことについて質問された場合。

今までの経験上、これは知識を持っていることに対してステータスを感じている人ほど、
その場の取り繕いで適当なことを口走る傾向が強いように思います。
なにしろ相手はその分野については発言者を信じ切っているし、知らない分野なのだから、
発言者が曖昧な表現をしても、
究極的には適当なことを言っても「そうなんだ」で済まされてしまいます。
それが実は適当に取り繕っているのかどうなのかというのは、発言者本人にしか分からないわけです。

こういうときに、咄嗟に素直に「それは知らない」と言われるかどうかで、
なんというかその人のその分野に対する意欲や聞き手に対する信用は計れるような気はしますね。
適当に取り繕っている割合があまりにも多いなら、それはその人が知識探求そのものよりも
知識を持つことで他人に認められたい欲求が上回っていると言えなくもないのではないでしょうか。
もちろん時と場合、あるいは人間関係にも大分左右されると思うので一概には言えませんが。
とりあえず個人的にはある専門に特化した人と突っ込んだお話ができるとき、
わざと的を外したような質問に対しても「それっぽい答え」を返す相手は
少なくとも一流ではないな、という距離感を持って接することにしています。

そしてこれは自戒を込めての意味でもあります。
自分はどちらかというと格下となら腹を割って話せる傾向にあると思っていたのですが、
それは「自分しか知らない情報が多い相手なら誤魔化しが効きやすいから」に他ならないわけで。
自分が本来持っている知識量より多くの知識量に見せかけて会話することもできるので、
普段より大きくなれたような錯覚が楽しいんだと思います。
逆に格上との会話が面倒くさい、面白くない、つらいと感じるのは、
相手に対してではなく本来の知識量しかない自分に対する感情なのかなと。
こんなことを書くと自分がいかにもインテリぶった痛い人みたいに見えてしまいますが、
まぁでもネットに毒されるというのはつまりこういうことなんじゃないかなと。
ネットコミュニティなんて知識量を本来より多く見せるコミュニケーションの最たるものですからね。
最悪、知らないことを聞かれても「知ってるよ!」と言われてから検索して調べても、
相手には「この人はこれを知っている」としか映らないわけです。ある意味恐ろしい。

期待されていても知らないことは知らないと素直に言えることと、
持っている知識の情報源をきちんと管理できることは、
アウトプット活動を続けていくにあたって重要な根幹になり得ると思います。
対人コミュニケーションの場合、それが信用だとか信頼だとかの問題になるわけですが、
適当に取り繕って済ますかそうではなくてきちんと調べておくかというのは
他人関係なく自分が外界と接する際の誠意の問題でもあると思うんですよね。
これをおざなりにすると、いつか妄想と現実の境界が分からなくなってしまいそうで恐い。