#4905

環状思考


空想


直近の自分の精神状態をざっくり振り返ってみると、
先週土曜会議辺りを最底辺として、一昨日のエントリーを書いたとき
(公開日は06月10日ですが書いたのは当日内です)を契機に少し回復してきて、
週末突入時点では回復しきってはいないもののとりあえず最底辺から脱出した、
というくらいの実感です。

このとき、何故先週から今週中間までの自分は気持ちが沈んでいたのだろうと考えると、
しつこいようですが土曜会議がそのきっかけだったことは確かなのですが、
それ自体は過ぎ去ってしまえば引っ張る必要はないはず。
本当に自分の精神を痛めていた直接的な原因というのは、
それに誘発されて考え始めてしまった「イマドキの若者は何故叩かれるのか」といった世代論、
すなわち“答えの出ない問い”だったのではないかと思うんですよね。

振り返ってみれば、鬱度の高いときほど“答えの出ない問い”にどっぷり浸かっていて、
考えれば考えるほどどうしようもないことに悩んでいたように思います。
答えの出ない、と言うと若干語弊があるので、
もう少し厳密に言えば「今の自分だけでは解決できないことに対する自分なりの期待」でしょうか。
先日の世代論もそう、自分だけが何を考えたところで20代全体に対する印象が変わるはずもなく。
これに限らず、「自分は他人にこうあってほしいけれど他人はそれを聞き入れてくれそうもない」
という思考が、負の連鎖に繋がっているような気がします。
(場合によってはこれの“他人”を“自分自身”に置き換えても当てはまるかもしれません。)
だからきっと、この状況で一番良いのは伝えるべき相手が聞き入れてくれることなんでしょう。
それができない場合には、代償行為として「書く」ということが有効になってくると。
ネガティブなときに「あのときああすれば人生変わっていたかも」なんて考えたりするのも、
似たようなことなのではないでしょうか。
これも、内容は滅茶苦茶でもとりあえず書いたり、
気が置けない相手に冗談交じりに話してみたりすれば自ずとスッキリしてしまう場合が多い。
一度スッキリしてしまえば「変わっていたかもしれない人生」は、
所詮自分らしさの欠損した空想上の産物であることに気付かされるわけです。

ただ、答えの出ない問いに浸かるとネガティブになるということは、
別に哲学的な問いをしてはいけないということでもないと思うんですよね。
自分にとって人生とは、現在とは、過去とは、社会とは何かを考えることは大事だと思うし、
そういう根本的な問いを考えることは考え方の幹を作っていくものだと思います。
問題は自分なりに現実的な暫定的結論を出せるかどうか。
自分にとって絶対に手に入れられないものを根本的な問いに対する答えに据えてしまうと、
それは結局自分で自分に無い物ねだりをすることになって、これはこれで苦しい。
極端な話、自分の人生をより幸福にしたいということを考えたとき、
世界幸福度報告1位がデンマークだから幸福であるためにはデンマーク人になるべきだ」
なんていう結論に持っていってしまったらどうしようもないわけです。

なので、憂鬱思考から抜け出すには
まず今考えていることは結論が出そうかどうか(または、どういう結論を望んでいるのか)
ということを予測する視点が大事なのかも。
あるいは結論が出ないということもひとつの結論として受け入れるか。
まぁ、そのためには今考えていることがぐるぐると反芻しているだけなのか、
あるいは考えがきちんと展開してきているかどうかを見極める必要があるんですけどね。
それに気づける一番顕著なサインは「なんでもかんでも否定したくなる」という心の動きですが、
それだけでは何に悩んでいるのかを見極めるのは難しく、
やっぱり一番手っ取り早いのは一度アウトプットしてしまうことなんでしょうかね。
でもぐるぐると悩んでいるときに限って何かを書く気力がなかったりするんですよね……。
この辺を上手く着想メモなどで昇華してしまうことができればいいのですが。

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