#4923

思春期が創り出した深手


「何かしないといけない」という固定観念にとらわれて、結果何もできないという現象。
そろそろこれを根本からなんとかしたい今日この頃です。
最近よく思うのは、そういった自分に深く突き刺さっている固定観念というのは、
多くが思春期あるいはそれ以前の「成功体験」に基づく信念なのではないかということ。
そしてその成功体験が成功したかどうかという判定基準は、
とても視野の狭い基準に因るものなのではないかということが気になっています。
そして、その価値観についていけなくなりつつあるのが昨今の自分なのではないかと。
だから、一度突き刺さっているそれを抜いてできた穴を、別の何かで埋めてしまいたい。
けれど、ここでいう「別の何か」ってなんだろう、と。

自分はここずっと趣味関係でもあらかじめ計画を立てて、
それを愚直に実行することがさも当たり前のようにずっとやってきました。
計画がないということの方が不自然で、いかにも非充実のような気がしたからです。
こうして計画を立ててきたからこそ、
「面倒くさそう」の壁を乗り越えて実現できたことも多々あり、
ある意味その累積こそがネット名義の自分が生み出した成果と言えるかもしれません。
しかしいっぽうで、今こうしてブログという日課に苦しめられているように、
計画があることが自由時間の足枷になることも間々あります。
間々ある、というか最近はほとんどそうです。
だから、休日に入る=自由だという感覚が自分の中には随分昔に置いてきたものだと思ってきました。

自由でない時間に徹底して計画を立て、自由を手にしたらそれを順番に実行する……
というフローはある意味学生時代だからこそ通用した手法なのではないかと思います。
特に大学時代なんて、一年のうち三分の一は長期休暇だったわけで、
「計画しなければ非充実になる」というのはその空白時間が言わしめたことなのではないかと。
しかし、学生ではなくなった今はもはやそんな状況ではありません。
平日の自由時間は最長5時間、
休日は土日祝のみで長期休暇的はどんなに頑張っても一年に一度十日取れるかどうか。
考えてみれば、すでにこれだけ状況が違うのに、
学生時代から続けていることをそのままそっくり実行していくにも無理があるよな、と。
慣習を止めてしまったら自分の手元に残るものがなくなってしまうのではないか、
という喪失への恐怖からある意味あらゆるものを止めないでここまで来たわけですが、
仕事の中身はさておき、平日最長5時間というスパンに
あらゆる慣習の形を変えていく覚悟はこれから必要になってくるのではないかと思っています。
冒頭の「別の何か」が何なのかはこれから考えていかねばならないことですが、
それは多分既存の何かが姿を変えたものでないと自分が心の底から納得することは難しいだろうな、
ということはうっすらと感じています。