何故僕たちは小学生時代の08月31日、あんなにも苦しまなければならなかったのか?
最近、小学校の子どもを持つ人からイマドキの夏休みの宿題事情を聞く機会があったのですが、
それによればイマドキの小学生は宿題そのものはあまり多くないんだそうです。
具体的には国数それぞれ少量のドリル、プチトマトの観察程度の自由研究があるくらいだそうで。
そして「希望者にのみ追加の学習教材を渡す」(有料) というシステムのようです。
そして保護者は、新学期に他の子より勉強が遅れることを恐れているからか、
夏季のみ開講の塾に行かせる家庭も多いんだとか。
遊びたい盛りの子どもにとってはたまったものではありません。
自分は低学年、中学年、高学年とちょうど二年おきに三人の担任に見てもらって育ちましたが、
そのうち中学年のおばさん教員が非常にスパルタだったのを今でもよく覚えています。
当然、夏休みの宿題も半端なく多く、毎日の一行日記、読書感想文、
一学期全範囲分の国・数ドリルをもう一周、そして自由研究(または工作)。
一学期全部分のドリルをもう一度やるというのが一夜漬けタイプの自分にとってはとにかく地獄で、
小学三年生の当時から日付を越えて問題を解き続け、親に心配された記憶があります。
一応完成させて学校に行きましたが、先生に褒められたことは一度もなかったと思います。
今思えば、あれは自分が元々一夜漬けタイプだったから夏休み終盤に地獄を見たのではなく、
あれによって一夜漬けを覚えてしまったのではないか、と思うんですよね。
責任転嫁と言われればまあ否定できないのですが。
よく夏休みの宿題の意義は、与えられた自由時間の中で課題を消化していくという、
自主的な計画力を養うためだとかなんとか言われますが、
それによって一夜漬けを覚えてしまったら元も子もないと思うんですよね。
イマドキの夏休み事情を聞いていると、夏休みの宿題は学校が主体になって出すというより、
親子間の共同作業に重きを置いているようで、
むしろそっちの方に意義があると思うんですよね。
だから、なおさら一学期分のドリルを復習する意味はあったのかと思ってしまう。
しかし夏休みの宿題はない方が良い、というのは極端な考えでそれもどうかとは思います。
40日間学問から離れるのを良しとしてしまったら、
二学期に登校するのが嫌になってしまうかもしれないし、一学期にやったことを忘れてしまうかも。
これは基本的に課題らしい課題のない大学時代後半の夏休みを経験して強く感じたことです。
自主性がないクズにとって、自由時間が1ヶ月以上あることはむしろ苦痛だったりするんですよね。
なのでやっぱり少量でもある程度の宿題はあった方がいいと思うのですが、
あくまでも夏休みは学問以外のことを体験するのが本当の目的のはずなんですよね。
だから「他の子に置いていかれると嫌だから」という理由で塾に通わせるのもなんか違う。
でも、放っておいたら40日間ゲームだけやって終わりになるであろうことも否定できず……。
うーん、子どもの夏休みはどういう風に導くのが正解なんだろう。