#4986

世間体という名の檻


空想

今回の繁忙期をきっかけに、来年こそは趣味の一年にしようかなと思い始めています。
そもそも今の会社に入った初年度は今週の繁忙期など比べものにならないくらい忙しく、
結果として2014年が自分にとっては趣味のネックボトルとなり、
超繁忙になっても存続できるものだけを2015年以降も維持してきました。
はっきりとした意志の下に他を切り捨てたわけではありませんが、
例えば2013年以前はあんなに盛り上がっていたモバイルアプリ界隈や、
ピクミン以外のコンシューマーゲームも形式上は今も続けてはいますが、
2015年以降それらに熱中できたことは本当に数えるほどの経験しかなく、
2013年以前と比べて明らかに差があります。

つまり自分にとって仕事とは常に趣味を圧迫するものであり続けてきたわけで、
その対価としてお金を得られているという考え方は
いかに責任の度合が重くなってきても、根本的なところはバイト時代から変わっていません。
つまり、仕事そのものが趣味の代替にはならないという固定観念は未だに拭えていないわけです。
そうなるとこの先仕事を頑張れば頑張るほど、
「本来の自分」であるところの自由時間、ひいては趣味の存続は危ぶまれていく。
そうなったときに、もし仕事のやり甲斐を失い仕事からも離れることになったら
一体自分に何が残っているんだろう、と考えてしまうんですよね。

だからそれこそ入社初年から、
いずれ貯金が貯まったら「趣味のためだけの一年」があってもいいのではないかとは思っていました。
ざっくり計算ですが地方都市ならば144~180万円程度のお金があれば、
十分に一人暮らしニートを満喫することができます。
当然、二年目以降もというわけにはいかないので
翌年に向けて就活なりある程度働くことは必須になりますが、
最低賃金から計算するとそれもそこまでの無理ゲーではないことは分かります。

つまり、やろうと思えば自由時間優先の生活はできると。
その代わり当然最小限の収入では社会的地位は見込めなくなりますが。

しかしそもそもそれが二者択一の問題だという発想は今まで自分の中にはありませんでした。
何はともあれ働き続けることが学校を出たら必ずやるべき義務だと
いろいろな大人に教え込まれてきたからです。実際その主張もある面においては正しいのでしょう。
仮に144万円使って2018年度を一切働かずに過ごしたとして、
本当にその金額に見合うほど趣味関係を充実させられるのかと言われると、その自信もありません。
大学~大学院時代を鑑みるに、一年与えられても頑張れるのは多くて三分の一程度で、
あとは生活リズム崩壊等に悩まされ続けて過ごしていくことになりそうな気がします。
まぁ、その辺の問題も膨大な自由時間を使って解決したいという意図もあるわけですが……。
とにかくその辺のリスクもあって今までずっと決心をぼかされてきたのですが、
今の圧迫生活を続けていく限り現状は変わらないというのを今回の繁忙期で強く感じたし、
この状況で無職生活のモチベーションの心配をしてもどうにもならないのも確か。
なので背水の陣になってでも一度自由時間の海に飛び込んでみるのもアリかなーと。
躊躇しているうちに中年時代に突入していたなんていうことになったら取り返しつかないですからね。

0

コメントを残す