#5123

今年の抱負 2018


独り言

巨大な破裂音、そして割れんばかりの歓声と拍手。
ステージに立つその人の「あけましておめでとう」という汗まみれの叫び。
その瞬間になったとき、照明は一斉に観客席の方を向き、ぼくは真っ白になった。

そして光の中で「2018年をどうありたいか」という問いが自然と湧き出てきた。
そうだな、強いて言えば――白紙から始めたい。

去年できなかった何々を今年こそ成し遂げたい、去年はここまで出来たから来年はここまでやりたい、
そんな非現実的な目標を設定して後戻りできないところで現実味のなさに気付かされ、
目標がとげとげしい義務に変わってそれに悩まされるのはもうたくさんだ。
過去の自分を基準にした目標に漠然と従っていては、永遠に今の自分が主導権を取る日が来ない。
それでは永遠に「今」を楽しむことができないのではないか、という危機感がある。

去年以前に生み出した反省と向き合うことは大事だと思う。
しかしそれを「今年やるべきこと」と必要以上に強く結びつけてはならない。
そもそも反省はすべて解決しなければならないのかというとそれもはなはだ疑問で、
反省にも非現実的で自分勝手な願望が混じり合っていることは往々にしてよくある。
今までのぼくの年間計画の立て方は、去年の反省から今年の目標を自動計算していたに過ぎない。
『去年はできなかったから今年こそ着手しよう』というのがその典型例である。
今年は少なくとも、反省を目標に替える前に
その妥当性を「今」の視点からチェックする工程をひとつ噛ませるべきだと思っている。
今の自分に必要なことなのか、できることなのか、やりたいことなのか。
むろん、今までの考え方が絶対に間違っているとも言わないし
過去は踏み潰すものだとも思っていない。
ただ、新年の抱負と過去の反省とを一緒くたにしたくないというだけの話だ。

ともあれ、今年はまず「振り返りすぎない」ということをひとつの抱負として掲げていきたい。
もちろんそれとは別にいろいろと元日に託した願い、期待、具体的にやりたいことはたくさんある。
しかしそれをここに具体的に書くといかにも達成しなければならない責務を負わされる気がするし、
そもそも年始時点で思い浮かぶこれらが現実味を帯びているとは限らない。
年間目標を「楽しむために」、それらは敢えてここに掲げないことにする。

まずは2018年を精一杯一生懸命楽しんで、苦しんで、遊んで、悩み抜いていきたい。

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