#5160

続・計画点検について


「思い立ったが吉日」と良く言われるように、これをやりたいと思ったのを保留しておくと、
その多くは翌週にはそこまでやりたくなくなっているものです。
でも実際のところ、一週間のうち五日間拘束されている生活では
思い立ったその日にはできない状態であることの方が多かったりして、
これが趣味を維持することにおいて大きな問題になってきたりします。
休日になったら自動的に仕事以外のいろいろなことを頑張れるのかというと、そうでもない。
じゃあ自分はこれらのことにもう興味がないんだろうか?
思い立ったあの日の「これは間違いない」という思いはとんだ勘違いだったのだろうか?

歳を重ねるごとに休日タスクは多岐にわたるようになりましたが、
それは休日がどんな心の状態であっても着手できる
一種の予防線を張っておきたいという気持ちがあってのことだと思います。
もしやる気が十分にあったら手を付けたい第一候補がまずあって、
それをやる気になれなかったら着手する第二候補が次にあって、
それさえもする気になれない場合にせめてこれだけはやっておきたい第三候補を準備しておく。

第一候補というのは自己実現にかかわるような「いつかやりたいと思っていたこと」
であることが多く、これらは卑屈な精神であるときにはとても着手する気にはなれません。
今までの自分が年間計画と称して並べていたタスクのほとんどはこれで、
年末年始やブログのアニバーサリーといった「記念日」、あるいは他人の言動など
自分ではどうにもならない要素によって自分を縛ってようやくなんとか着手できたりします。

第二候補は既存のものの発展形であることが多く、
抽象的に表現すれば「頑張ればできそうなこと」がここに当てはまります。
この第二候補で実際に結果が出せるかどうかで休日の達成感はかなり左右される気がします。
具体的な内容は人によりけりだと思いますが、例えば部屋掃除とかでしょうかね。

第三候補は最低限今まで続けてきたものをメンテしていこうというもので、
あえて「~べき」という表現を避ければ、「これくらいならできるであろうこと」が当てはまり、
自分個人としてはこれはブログの執筆作業が当てはまります。
ここに部屋掃除がカテゴライズされる人はしっかり者だと思います。
つまり、人によって「最低限これだけは」「これができたら偉い」というボーダーラインは
同じ物事を行うにしてもかなり変わってきていて、
そのボーダーラインが極端に低く、どんな物事も「これができたら偉い」といった目線で見てしまうと
いろいろな行動が抑制されてしまうのではないかと思うんですよね。
また、このボーダーラインが違いすぎる人とは話が噛み合わないことが多いと思います。
いわゆるリアル充実勢とある種の引きこもりが「休日をいかに過ごすか」というテーマで話し合っても
おそらく収拾が付かないことでしょう。後者は得てして自分に甘く生活のハードルが低いので。

しかしそもそもボーダーラインはこの辺にあるべきだ、などという主張は無意味で、
それは自分自身を顧みながら自分自身で設定するラインを信じていくしかないのでしょう。
むろん、あまりにも世間一般の標準との差がありすぎると
それはまた社会に適合しにくいということにもなっていくのでしょうが。

ただひとつ、必要以上に「これができなかったから今週は非充実だ」
というような決めつけをしないことはボーダーラインを下げすぎないために必要だと思います。
上の例のような三段階設定だと
第三候補さえ突破できないような日に相当無力感を感じることになるわけですが、
それはそもそも、計画段階で実際に着手する自分をイメージできていないということなのでしょう。

タスクありきの生活が必ずしも正しいとは言い切れませんが、
しかしその日やりたいことだけを過ごしていったら
いつまで経っても生活が発展していかないのもまた確かで、
そういった諸々の事情を考えながら自分なりのボーダーラインを決めていけたらいいなと。

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