#5167

取捨選択に伴う責任


積雪がひどいときは若干の遠回りを覚悟してでも徒歩移動距離が短くなるように
バスに乗るようにしている昨今ですが、その沿線にコンビニがまったくありません。
その代わりに終点が大型ショッピングモールになっていて、
先週くらいからは仕事帰りにスイーツを買いたくなった場合はそこで買うようにしています。
生菓子類は最近はコンビニの独自流通の方が強い感じもしますが、
大手メーカーからの流通はスーパーの方がとにかく種類が豊富。しかも安い。
大きなレジ袋いっぱいのお菓子を買っても2,000円を超えなかったときはなかなか衝撃でした。
コンビニでは翌日の朝食+生菓子+チョコ類数個で1,000円オーバーが当たり前ですからね……。

ただし、スーパーでは当然のようにスプーンなどは付けてくれないしレジ袋は有料なのが当たり前、
当然Suica決済には対応せず、その代わり現金決済すれば必ずレシートはくれます。
いっぽうコンビニではあらゆる電子マネーが使えるしスプーン類も当然付けてくれますが、
ここ三年くらいでこちらから言わないとレシートをくれない店員さんが一気に増えました。

ここで、昨今のコンビニの店員教育はなっていない、レシートくらいは渡すべきだとか、
スーパーはセルフレジサービスがあるのにレジ袋が必要な場合は店員への声がけが必須だったりして、
これじゃあ膨大な費用を使ってセルフレジコーナーを設置している意味がないじゃないかとか、
サービスに対する文句を言おうと思えばいくらでも言えるわけですが、
それをここで言ったところで何にもならないのは至極当然な話。
なのに、ともすればちょっとストレスが溜まっていると
今でもそういうネガキャン思考に心を奪われている自分がたまに情けなくなります。

あるサービスに対して不満があるのなら、そのサービスを選ばなければ良い話。
何か期待して選んだのなら、期待するなりにそれを理解しようとするべきなのもまた当然。
この例ではコンビニとスーパーという業務体系が異なる小売店のささいな部分での比較ですが、
自分が選んだものに対して感じる不毛な非難を心の声として感じることはこれに限らず、
突き詰めると「自分が選んだものである」という自覚が薄いものほど、
その心の声が実際に不満として漏れ出ることがあるような気がします。
例えば、かつての学校生活における学校そのものへの不満なんかがまず思い浮かびます。
小中学校はともかく、
高校以降は受験を通じて「自分で選んだ結果ここにいる」はずなのですが、
高校時代を鑑みるとそういった自覚もあまりなく、
服装検査やら修学旅行の行き先やらにとにかく文句を垂れていた記憶があります。
そこまで学校のコンセプトが嫌なら、なぜ高校受験時にそれを事前に調べなかったのかと。
これは職場と労働者の関係にも概ね言えることなのではないかと思います。

嫌だ嫌だと思う前に、それと関わらずに済む可能性がないかということを振り返りたいものです。
でもコンビニの店員さんはせめてレシートくださいお願いします。

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