#5189

誰かに届け


自戒のために文字に起こしておくのですが、
最近考えるよりも先行して文章を書いてしまっている気がして、
Twitterやブログに載せたあとで「これは違うな」と気付かされることが多くなっていて、
なんというか文章力が後退してきたような情けなさを感じています。
本当の意味で「考える前に書いている」のではなく、
書いた文章の客観的妥当性をチェックせずに送信してしまうと言うべきか。
もっと言えば、事実よりも見栄を優先してしまいそうになる嫌いがあるというか。
もちろん虚偽を書くようになってはブログの存在意義がなくなってしまうので
意図的に事実をねじ曲げているつもりはないのですが、
客観性がさっぱり抜け落ちていると「これはちょっと脚色しすぎかな」
と思うようなことを何気なくスルーしてしまいしがちな気がします。

基本的に、ブログにしろ各種SNSにしろ、
文章を投稿するときは「他人が読んだらどう思うか」「自己中心的すぎないか」「誤字はないか」
といういわば簡単な校閲・校正作業によってふるいにかけてから実際に送信するわけですが、
そういえば最近はその時間が書く文章量に対してかなり減ってきたなと。
とくにTwitterは条件反射でツイートしてしまってあとで消すことも今年になってから増えてきていて
どこまで自分を晒すかを考えなおす時期に来ているのかなと思います。
ブログに至っては土日で七日分書く今のスタイルで校閲なんてしている暇などあるはずもなく、
ほぼ垂れ流しの状態です。「とりあえず投稿したけどあとで直さないとマズいかも」
というような投稿が5100番台からかなり溜まっています。

なんというか、アウトプット過多を放置すると
こういう風に文章クオリティを無自覚に落としていくものなのかなーと思ったりします。
Twitterでも最初はリプライなどは一度書いたあとに
何か間違いを言っていないかを確認するために何十回と校閲を繰り返していたせいで
必然的に遅リプになっていましたからね。どう頑張っても30分はかかっていた気がする。
それもそれで時間的な問題があったとは思いますが、
そういえばいつの間に素通りするようになっていたんだろうな、と。

定期的に書いていますが、ブログというものは意識的にしろ無意識的にしろ
伝えたい相手を想定することによってようやく書き続けられるものだと思っています。
そしてその相手を自分がどれだけ尊重するかによって
文章の傾向や質は大きく変わってくるものだと思っています。
相手というのはごく近しい身内から(ブログの存在を教えていない)同僚、
ブログのアドレスを容易にたどれるであろうTwitterのフォロワー、
あるいは学生時代の友人やクラスメイトなどあらゆる人を(勝手に)想定できるわけですが、
相手を格下に見ている場合は
「自分しか知らないであろうことなら多少客観性が欠けていてもお咎めはないだろう」
と考えて上から目線で書くようなこともあり得るかと思いますが、
自分を認めてほしいような人が読んでいるという想定ならそういうわけにはいかないでしょう。
自分の場合はその想定する相手として長らく「自分自身」を据えてきました。
なんでそうなったのかというと
高校時代に一緒に(ほんの一時期だけ)ブログをやっていた人との縁が切れたからなのですが、
自分が読めればいいやという状態はどうやらチェックを甘くする作用があるようです。
チェック機構自体が自己肯定感に連動にしているというか。
自分で自分を尊重できない状態が続くとブログにもそれが影響してくるような気がします。
だからといって、14年目からいきなりこの構図を変えるのも難しいんでしょうけどね。
具体的な他人を想定するにしても、そもそも十年以上続いた縁が一体いくつあるのかと。

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