#5230

どうしようもないこと


空想


今月上旬~中旬、なんだか厄日続きのような気がする……。
具体的にこんなことがあったということを羅列していくと
不安感情が不必要に強化されてしまうと思うのでしませんが、
それにしても最近良かったことってなんだっけ、と思い返してみても本当に思いつかない。
こんな心境のままゴールデンウィークに突入して果たしていいものか。どうしようもないのですが。

これを「運が悪い」という言葉で括ってしまうのはすこし乱暴過ぎる気がするし、
運などというどうしようもないものに原因を求めてもどうしようもないわけで。
逆に言えば、良いことが続いているのを「たまたま運が良い」と結論付けてしまうのも、
なんとなく主体性を放棄しているようでもやもやしてしまう気がします。
じゃあ、今の自分の状況はすべて自分の選択した行動の結果なのかというと、そうでもない。
むしろ自分ではどうしようもないもの(と思っているもの)によってこそ、
不安や歓喜といった感情というものは想起されているように思われます。
どうしようもないからこそ不安に思ったり、
どうしようもないと思われていたものをどうにかできたりしてこそワクワクするのではないか、と。

なので、どうしようもないものに原因を求めてもどうしようもないのですが、
かといってどうしようもないものをどうしようもないからと放置してもどうしようもない。
正面から向き合ったら少しは楽になるのかもしれない、
という思いがあってこそ行動したことも最近はいくつかありますが、
それが「最近厄日続きのような気がする」原因だとしたら、
自分はもしかしたら不安の要因との向き合い方がまだまだヘタクソなのかもしれません。
この喩えが適切なのかと言われるとかなり微妙ですが、
「傷口を放置してしまっている」という状況からの脱出を考えたとき、
「傷口を放置せずに直そうとすること」が正確な向き合い方だとしたら、
傷口を見ているだけ、あるいは抉るだけ(問題を追及しているだけ)が現状か。
向き合ったところで解決を期待できなかったらやっぱりどうしようもないわけで。

まぁ、向き合い方が変わったら現実が変わるのか、という話ではあるんですけどね。
「どうしようもないこと」の数を減らしたいのに、それを邪魔しているのは一体なんなのだろう。

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