#5257

行動回避本能


空想


エレクトロニカをランダム再生していたらものすごいノイズミュージックが流れてきて、
むしろこの脳みそ掻き混ぜられている状態で文章を書いたらどうなるんだろう、
と気になったのでノイズまみれになりながら今考えていることをぶちまけてみたいと思います。

ここ何年ほどの自分は今までにやっていなかったことを優先する傾向にあります。
そして大抵それらはその日限りで終わってしまうことが多く、続かない。
さらに、それらを心の底から楽しめたのかというと、そうでもない。
この繰り返しに自分の根底にある欲望が本当に望んでいるものはなんなのだろう。
本当に「その日限りの娯楽」を探すためにそれらを探しているわけではないはずで、
実のところ既存の何かに代わる何かがほしいと思っている節は確実にあります。
けれど現実にはその期待に反して続かないことが多いのがこの数年の傾向で、
まあ子ども時代から長く長く続いているものに対して、
大人と呼ばれる年齢になってから今更のように見つけたものがそうそう敵うわけがない、
と言ってしまえばそれまでなのだけれど、
それじゃあ自分はもう一生、いま手元に残っている手札で勝負するしかないのかと虚しくなる。
その手札の乏しさ、現実の虚無感が行動原理になっているような気はします。
それは子ども時代から続く何かを明確に否定したいのか、
あるいは大人としてのアイデンティティーを確立したいのか、どちらなのかはわかりません。
どちらでもないからこそのこの迷いなのかもしれません。
ありていにいえば、なんでもいいから新境地に達したいということなんだと思います。
ゲームで言えば今のレベルはもう飽きたから、次のステージに進みたいという気持ち。
けれど、次のステージの難易度に見合った経験値が溜まっていないからこそのこの停滞なのでしょう。

こういう繰り返しで当然、既存のものに目が向くこともあるわけで。
結局心の底から満足することを期待できないと知りつつも、そっちに落ち着いてしまうことが多い。
でもここにいる限り変われないと分かっているので、
そこにある程度の期間居続けると不満が募ってきてしまうんですよね。
こんなことをもうずっと周期的に続けている気がする。
新しいことを模索することはなんだかんだで体力がいるもので、
その補給のために必要なのが既存のものだけで満足しようとする期間であると思っています。

既存のものを突き詰めて新しい何かに変化することを期待するという考え方もあると思います。
ある意味ではこれがいちばん無難で盤石な考え方なのかもしれない。
未成年時代に培った基礎が乏しいことを受け入れつつも、
それに見合った家を建てていく、という考え方。
ただこれは「既存の何か」に発展の余地があるかどうかで大きく変わってくるし、
掘り下げていくほど難解になり見返りが少なくなってくるのがなんとも難しいところです。
あるいは、単に意欲不足故にそう思い込んでいるに過ぎない可能性もあるか。

こういう視点の何が嫌かって、
結局のところ自分の実績になるかどうかという物差しで物事を見ていて、
まだスタート地点にも立っていないのに、
ゴール前にあるとんでもなく険しい道のりを勝手に想定しては諦めてしまっているという、
要は面倒なことはあらかじめすべて回避しようという思考に基づいているところ。
何が面倒くさそうか、で物事を計っていては始まらないのも当然の話であって、
なんというかもっと足下を見ればいいのにと我ながら思うのですが、
なかなかそれを徹底できていない今日この頃です。
翻って、そういうのを薄々感じているからこそ既存の何かそのものを回避する傾向にあるのかもなと。

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