#5268

退屈について


空想


退屈そのものについての情報を集めていると共通していると思うのが、
「すごく退屈だ、何かが満たされていない、進展していないのに消耗している、と強く思うときは、
実は代替になる小さなもので慢性的に満たされている状態である」という主張です。
リアルの交友が広がらずに苦しんでいるときほど頻繁にSNSをチェックしていたり。
最近全然面白いゲームをしていないな、と思ったら実はスマホゲームをたくさんしていたり。
大きな買い物もしていないのに貯金が減っていると思ったら数千円程度の買い物を頻繁にしていたり。

最近は取っ付きやすさだけは超一流だけど、結局それだけでは満たされないものが多いと感じます。
特にスマートフォン関係が筆頭で、基本無料が当たり前に並んでいるものだから、
何の覚悟も興味もなくてもそのコンテンツの世界に入り込んでいってしまえる。
取っ付きやすければ取っ付きやすいほど、そこから離れるのも簡単。
それゆえにコンテンツを理解しようとする努力をしなくなった人が増えたと感じるし、
おそらく自分もその範疇に入っていると思っています。

覚悟が必要な方向に向かわなければ満足を得られない、というわけでもないのでしょうが、
Aで満足したいのに、それに似てなおかつ取っ付きやすいBに着手することで満足を得ようとして、
結果的にAを忘れられないのであれば
それは結局のところ逃げの一手にしかならないと思うわけです。
Aで得たかったものがBで本当に満たされることもあるのでしょうが、
今までの経験から言って、
満足感というものはやはりそこに至る道のりの険しさとある程度反比例しているようにも思います。

しかしここで安易に「満足感を得る為になるべく険しい道のりを選ぶべきだ」などと言ってしまうと、
それはブラック会社の標語と変わりません。
険しい道のりを選んだところで誰もが満足するとは限らないし、
そもそも満足感というのは経過に対する評価であって、実際に重要なのはそこに至る経緯だからです。

中途半端に満足することで本来の目的から遠ざかってしまうことに対して、
どうやって本来の目的に意識を引き戻すかということを書いた情報源とはまだ巡り会っていませんが、
自分は、上記の例で言えば単にスマホを断ち切ればより良い方向に向かうとも思っていません。
その辺はゲーム禁止令を受けた子どもが勉強しないことに似ているように思います。
満たされたいというのはあくまで願望で、それとできることとは誰しもギャップがあって、
そのギャップによる苦しみと対立することによって自分のできることが少しでも増えていけば、
徐々に自分が満たされる物事に近付いていくのではないか、と。
苦しみと向き合いたくないときは、中途半端に満たす何かで隙間を埋めてもいいと思うんですよね。
ただそのときに、不用意に理想と比較してはいけない。
小さなコンテンツを楽しむなら、それ専用の物差しを持つべきだろうと思うわけです。

その辺に退屈を解消するヒントがあるのではないか……と思うのですが、実際どうなんでしょうね。

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