#5300

未熟者の話


独り言


ぼくが修士論文の執筆と昼夜逆転に苦しんでいたとき、
まったく同じ境遇に立ち、その悩みについて吐露していたブログと出会ったことがある。
とにかく、書けない。次第に自制心が働かなくなり生活が徐々に崩れていく。
起きていなければならないときに眠くなり、眠るべき時間になると眠れない。
そんな状況で果たして修論を完成させられるのだろうか。
今からでもリタイアして、就職活動に専念すべきなのではないだろうか。
細かい文章の流れは覚えていないが、そのような内容だったと思う。
まるで自分のブログを読んでいるようだった。

そのエントリーには(このブログと違って)いくつかのコメントがついていた。
そのうちのひとつがいつまで経っても忘れられない。

「あなたみたいな人が社会に出ないでほしい。迷惑だから」

ぼくは、これが自分に言われたような気がして打ち拉がれてしまった。
衝撃的だった。でも、確かにその通りだとも思った。
昼夜逆転してまともな生活もできない。自分で自分一人さえ支えられない人が、
どうやって他人をも支えることができるだろうか。
他人の助けにならない人に金銭を与える余地がどこにあるのだろうか。

人は、ある年齢になったら自動的にその年齢相応の待遇を受けるわけではない。
その年齢に然るべきモラルや能力を身につけてこそ「一人前」であるものと見なされる。
この世は表面上は平等を謳っているように見えて、
年齢相当の要件を満たさない人は容赦なく差別しようとする。
それは何もモラルだけの話だけでなく、
例えば実年齢と発達年齢の差が大きければ精神発達障害とみなされ、健常者扱いさえされない。
では何を持って「年齢相当」と見なすのか。それは誰が何の権限で決めているのか。
そこに、既得権益を持つ人の自分勝手さが垣間見えるような気がしてならない。
結局この世は、他人に愛されなかった人は生きづらいし、愛されれば生きやすくなるのだと思う。
その両者の間で、未成年時代に与えられる情報量にあまりにも大きな差がありすぎる。
義務教育で与えられる情報など、差別主義社会の前ではみじんも役に立たない。

上述のコメントを書いた人は、ブログ著者が大学院生だからこそ辛辣な言葉をぶつけたのだろう。
その言葉の裏側では、社会人はこうあるべきという、
コメントした側の要求するハードルの高さがブログ著者が満たしていないことを突き付けている。
それはあくまで「その人にとっての」ハードルであって、
広い社会の中にはそこまでのハードルを要求しない場所もある。

しかし、例えばフリーターという低い場所を選んだらそれはそれで後ろ指を指してくる人がいる。
彼らは何が言いたいのだろう。生まれたら社会の上のポストを目指すことだけが人生なのだろうか。
高収入を得て、結婚して子どもを作ることだけが人生なのだろうか。
そのレールから外れることは、そんなに悪いことなのだろうか。

社会は思っていたより辛辣で、ぼくを助けてくれる余裕などない。
だからこそ、もう少し自分勝手に生きてもいいのではないかと思い始めている。
人は何と言われようとも結局のところ、できることをやるしかないのだ。

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