#5304

努力できない人の話


独り言


ふと思ったこと。抽象的なこと。
努力はした方がいい、するべきだ、しないといけない、とまことしやかに言われる中で、
いかに努力をするべきか、なぜ自分は努力できないのかという悩みが生まれ、
そして努力できない自分は矮小な人間だ、などとも思うようになっていったけれども、
そもそも努力は何故しなければならないのだろう、と。
そして、「努力はできるならするべきだ」という観念には、少なからず、
それがあたかも苦しみを伴うことだという先入観が存在するのではないか、と。

努力は何のためにするのかといえば、それは他人のためではない。
仕事にせよ、あるいは他人本位に「してあげたいこと」をするにしても、
それは認められたということ、ないし金銭などといった見返りを期待するからするのであって、
結局のところ自分は自分の為になることを期待してその行為をしている。

その「期待」が、何度やっても裏切られてしまうとき。
それでもやっぱり期待したくても、それまでの試行回数が
それが実現することがないことを突き付けてくるとき、人は期待することを「許されなくなる」。
少なくとも継続にある程度の努力が必要な物事において、
このことは多くに当てはまるのではないかと思う。

今のぼくは、期待することを許されなくなったことを納得してしまったから、
こうなってしまったのだと思っている。

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