#5343

薄利多売相互評価


文化


先日「承認欲求」についての本を読み、なかなか参考になったと思うのですが、
今の自分が率直に思うのは、これを行動原理として依存しすぎてしまうと何が困るのかというと、
早い話が自分の意思で動けなくなるということだと思うんですよね。
これをすれば他人に認められやすいということがわかれば、自然とそれを重視するようになる。
という行動と報酬の関係は、他人が自分を認めるプロセスが
自分の適性をうまく反映しているのであればそれで問題ないのかもしれません。
受験や面接など、いわゆる人生の岐路と言われる地点ほど、
「適性に評価される」というのは大事だと思います。
身近なところでは友人などに「この人は何々が得意な人だ」
と認識されるというようなことがそれに当てはまるのではないかと。

でも、ネット主体な生活においては、必ずしも他人が認める=自分の適性というわけではなく、
むしろこれだけかまってちゃんツールが充実している現代は、
そのイコールの関係はもはや崩壊していると言っていいと思います。
崩壊している極端な例でいうと、
「私はこれから何々をやるべき」という主旨のアンケートをTwitterでやり始めると末期かと。
それに追従する状態としては、とにかくあらゆる意見を「言い切れなくなる」。
「~だろうか」「~だと思う」という裏に、「誰か私を導いてくれ!」
という他力本願なメッセージ性を読み取れる場合などです。

それら行動の根本にあるのも、やっぱり承認欲求だと思うんですよね。
他人に認められたくて行動する。けれどそのための努力の方針もよくわからない。
なのでわずかにその可能性がありそうなTwitterで
ひたすら承認欲求を満たせそうな尖った発言を繰り返す、という。
「他人に認められる」ということだけを行動指針としてしまうと、
それは自分自身の本意から遠ざかってしまう可能性があるということです。

自分も常に承認欲求を満たせたらいいなとは思っていますが、
それをネットに、しかもできるだけローコストな方向で求めるのは危ういのかもしれないなぁと、
日頃かまってちゃんを見ていて思う次第です。

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