#5358

頭の善し悪しの再定義


備忘録

「頭が良い」とか「頭が悪い」とかって言われるけれど、その基準はどこにあるんだろう?
「そんなのは人それぞれ」というツッコミが飛んできそうですが、
できるだけ多くの人・価値観に適用できる「頭が良い・悪い」ってないのだろうか?
ちょっと気になったので、さくっと調べてみることにしました。

とりあえず辞書的な意味から考えてみましょうか。
広辞苑(第七版)には、【頭】の子項目に「頭がいい、頭が悪い」という例文が載っています。
そこでは「=思考力」という風に書かれています。
【思考力】を調べると、たんに「思考する力」としか書かれていません。
そこで【思考】を引くと、次のようにありました。

しこう【思考】
(1)思いめぐらすこと。考え。「―力」
(2)*哲学*〔thinking〕(ア)広義には人間の知的作用の総称。思惟。
(イ)狭義には、感情や意欲の作用と区別して、概念・判断・推理の悟性的・理性的な作用をいう。
知的直観をこれに加える説もある。
(3)*心理*(ア)考えている時の心理過程。(イ)ある課題の解決に関与する心的操作。

――『広辞苑第七版』p.1268より引用、一部改変・省略(以下同様)


このうち(2)を吟味すれば頭がいいとはなんぞやについて考えられるとも思いましたが、
「―力」と例文が付いているのは(1)なので、さらに【考える】についても引いてみました。

かんが-える【考える】
(1)実情を調べただす。吟味する。
(2)糺明して罪する。勘当する。
(3)思考をめぐらす。あれこれと思量し、事を明らかにする。思案する。
(4)易などによって事を判断する。
(5)学ぶ。学習する。

――同 p.649より引用


ちなみに(2)の勘当は親子の縁を切るというだけの意味ではなく、相手を叱る等の意味もあります。
(4)のような行為も「考える」にあたるんですね。
これらの語義を読んでいくと【思考】の(2)や【考える】の(4)など、
「判断」というキーワードが共通しているようです。ということで最後に【判断】も引きました。

はんだん【判断】
(1)真偽・善悪・美醜などを考え定めること。
ある物事について自分の考えをこうだときめること。また、その内容。判定。断定。
(2)うらない。
(3)*論理*〔Judgment〕論理学の対象を思考の働きとする立場において、
概念・推理とともに思考の根本形式。形式論理学における命題に該当し、
いくつかの概念または表象の間の関係を肯定したり否定したりする作用で、
「SはPである」「SはPでない」という形式をとる。→命題

――同 p.2418より引用


(3)がひじょうに好奇心そそられる内容ですがこれを調べて行くとキリがないので割愛。
(2)は占術のことではなく、「明日の天気をうらなう」といった使い方……だと思うのですが、
【考える】の(4)を見るに、これは本当に占いの意味なんでしょうかね??
その辺の歴史についても探索していると記事1本分には到底収まらないので省略させていただきます。

学生時代の学校において、頭が良いというのはほとんど「成績が良い」とイコールでした。
ここでいう成績とは、もちろん体育などは含まれません。
言動や顔かたちがアホそのものでも成績が良ければ「頭が良い」と言われる資格がありました。
もちろん、その対義である「頭が悪い」とはほとんど「成績が悪い」とイコールでした。
そのような価値観の渦中にあって自分は思春期などというものはとっくに通り過ぎ、
修士の2年間を足して実に18年という人生を費やしてきたわけですが、
その間、確かに成績が良い=頭が良いという通念をほとんど疑ったことがありませんでした。

そして社会に出て学歴が云々と言われることがめっきり少なくなったわけですが、
しかし学生時代とは違う「頭が良い・悪い」という価値基準は依然としてあるように思います。
それは例えばモラルやマナーがあまりにも逸脱している人。
むろん「あの人は頭が悪い」などと面と向かって言ったり、あるいは影で言ったりする人もその範疇。
あるいは仕事に支障が出るほど記憶力が危うい人、またはたんに仕事ができない人。
少なくとも社会それぞれに、学歴とは関係なく「この人は頭が良い」「この人は頭が悪い」
と思うような線引きは存在しているように思います。

そのおおまかな基準というのは、主に頭の悪いほうを主眼においた考え方なのですが、
「分かっている気になっているだけで実際には詳しく吟味していない内容を不用意に喋る人」
「理解するべき立場にありながら理解しようとする気力を持たない人」
というのが現時点で自分の中にある頭の悪い人像です。
上記の定義でいえば【考える】の(1)、【判断】の(1)をする習慣を身につけてこなかった人。

W杯第三戦のときにも近いテーマの批判を書きましたが、
今話そうとしている、あるいはすでに話し始めているのにそのテーマについて解ろうとしない人、
というのはSNSを歩き回っていると本当に掃いて捨てるほどいます。多分自分もそのうち一人です。
彼らの共通ワードは「興味ないけど」「知らないけど」「どうせ~だろう」。
往々にして否定的、批判的だったりします。保守的……かどうかはわかりませんが、
よく新しいものをやり玉に挙げているのを見かけます。
新しい意見に鋭いツッコミが出てくると、新しい意見ではなくそのツッコミを、
さも「自分の代弁をしてくれた」と言いたいかのごとくRTしている。

頭の良い人像というのは、すなわちその逆、目の前の事物をきちんと理解して適切に行動できる人。
学生時代の「成績が良い=頭が良い」という価値観は、
テスト範囲の内容を暗記したことによって得た知識そのものを指しているわけではありません。
あくまでテストという判断材料があり、それを適切に判断したから成績になったわけです。
極端な話、テスト範囲で暗記した知識も、テストがなかったらそれはただの知識です。
頭の良い人というのはどうやったら好成績とみなされるかを理解し、
その遂行のために必要だから知識を身につけたに過ぎません。
つまり頭の善し悪しというのは知識そのものではなく、知識の使い方の巧さだと思います。
あるいは、その速さと言ってもいいかもしれません。
頭の悪い人というのは得てして状況判断しきれずに判定を保留してやり過ごしてしまうため、
後々の反省で自分で判断内容は実は正しかったということが判明すると強く後悔するものです。

……ここまで書いておいてこう言うのもなんですが、
頭が良い・悪いというのは単なる誰かが誰かを評価する際のレッテル貼りのための言葉にすぎず、
本来そこまで気にするものでもないのかもしれません。
これら価値観は幸福感とは関わってこないので、
積極的に理解しようとしないことで幸せになることもあれば、その逆もあり得るわけで、
一概に「頭が良いほど良い、人生が豊かになる」などと言い切ることはできません。
また、同じ人でも日によって「冴えている日」と「鈍い日」があっても不思議ではありません。
頭が悪い人像に当てはまるからといって、永遠に頭が悪いというわけではないし、
他人の行動をちょっと切り取って分析しただけでは
その人は本来頭が良いか悪いかなどというのは分からないものです。

ただ、「頭が悪い」範疇の行動様式にどっぷり浸かりすぎると、それはそれで楽なんだけど、
「理解しようとする」習慣から遠ざかるぶん、
同時に新しいものを受容するための心の広さを確保できなくなる傾向にあるように思います。
そうすると頭ごなしになんでも否定しがちになって、楽しみが遠ざかっていく気がするんですよね。
現時点でもたまに自分の遊べる引き出しの少なさに愕然とすることがあるというのに、
目の前の事に興味を持つ努力を一切できなくなってしまったら、
残りざっと50年以上の人生をどうやって過ごせばいいのか……。

だから自分は、好奇心は絶対に死守するべき人生の生命線だと思っているし、
「頭が悪い人」の範疇を避けようとする努力をすることは、
自尊心等を抜きにして考えても、それを守り抜くことに繋がっていくと思うんです。

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