#5379

バレンタインデーに思うこと


空想


ふざけているのかと言われそうなことを大真面目に語ってみたいと思います。
今日のお題は、
「バレンタイン・デーに疑似恋愛することを
義務教育に入れてみた方が世の中の為になるのではないか?」
という仮説について。

日本にはバレンタインデーに女子がお世話になっているかの人やこの人へチョコを渡す風習、
というかイベントがあります。
この際自分のことはさておくとしても、しかし実際にそれを目の当たりにしたことはありません。
2015年に唯一年下の同僚女子から貰ったことはありますが、
それは文字通りに「お世話になっている」という意味であって、
学生時代において恋愛的な意味を帯びたチョコというのは貰ったことがないし、
むしろ貰ったということを人づてでも何でも聞いたことさえありませんでした。
故に、そんなイベントは漫画の世界の話だけなのではないかと今でも疑っています。
ラブレターも同様ですね。いまどきそんなに純情な恋愛が成り立つのだろうか??

そうやって世間知らずでいるうちに貴重な思春期という時機を通過していく人が、
男子のみならず女子でさえ、この国には一体何人いるのだろうかと思うわけです。
異性の取り扱い方をまったく習わずに身体だけは大人になっていき、
そして今度は独身であることを責められる社会が目の前に待っていると。
ここにコンプレックスを感じてしまうと、まさにこの世は地獄だと思います。
だからこの件は基本的に考えない方が気が楽なのですが、
たまに考えざるを得ない場面はどうしてもあるし、
社会全体的にもやっぱり少子化をこのまま加速していいはずがありません。
若年層にはもっともっとさまざまな交流の機会があるべきだと思います。

そういうことを、道徳という名目で「教える」時代もいずれくるんじゃないか、と思うんですよね。
先日、鹿児島県がキッズウエディングパーティーと銘打ったイベントで、
小学校に模擬挙式をさせて、
社会において結婚することの大事さを知ってもらおうというイベントを開催したらしいですが、
こういうのってわりとアリだと思うんです。

だったら、もっと突っ込んで学校という単位でバレンタインデーを学校公認のイベントにして、
1人1個チョコを誰か(同性でも良い)に渡して疑似恋愛をしてみよう、
といったイベントを開催すれば、誰もが否応なしにそれなりの交際をする機会を得るわけで、
それが人によってはそれぞれの社会観の軸になり得ると思うんですよね。
大学なら、探せばもしかしたら「大学主催のコンパ」的なイベントはあるのかもしれませんが、
要するにそういうことを言いたいわけです。

他人の自由に踏み込むということはどういうものなのか。
他人を大切に思うとどんな良いことがあるのか。そのためにどのような立ち回りが必要なのか。
そういったことは、根暗ぼっちに生まれてしまうと一定の結論を得るのに半生を費やすことになるし、
場合によっては一生解決しないまま朽ち果てていく人もいるでしょう。
その間、孤独に餓える人たちは、なんとかこの寂しさを癒そうと迷走するわけです。
誰の優しさにも触れたことのない人にとって、それを求めることは何よりも過酷なことです。
何しろ「どうやったら愛されるのか」という基準が何もないわけですから。

貴重な思春期前後に半ば無理矢理にでも全員にそういった交流をさせることで、
後人生を劣等感で埋め尽くしてしまう人の割合というのはかなり減らせるのではないか、
と思うんですよね。
それは個人がどうというより、単純に社会にとって良いことなのではないかと思うんです。

「学生時代は大人の前に用意された、いろいろなことを『おためし』できる時代」
というようなことは散々言われていたのに、理解する気のなかった当時の自分が本当に恨めしい。
思春期以後の自分を振り返ってみれば、
それはつまるところ「思春期にやりたかったのにできなかったこと」
を延々と求めているだけのような気がするんです。

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