#5394

飽和空間


文化


Twitterから離れて3日経っていますが、スッキリしている反面、
やはり最新情報を随時得られないという面でこれはこれでもどかしさを感じています。
先日、Twitterを辞めたあとの方向性としていくつか考えてみましたが、
コミュニケーションツールとしてのTwitterとは別に、
情報収集ツールとしてのTwitterはやはり必要なのかなと。

Twitterの存在を忘れてドラガリアロストに勤しんでいるときは本当に憑きものが落ちたようです。
標榜しているメイン活動以外のことをしていても後ろめたさがないことの幸せ。
メイン活動をしていないことに対する焦りがないことの幸せ。
しかし、どうしても気になってついつい鳥のマークのアイコンをクリックしてしまうと
とたんにイライラ感が吹き出てしまうので、まだまだ浄化が足りないように感じます。
情報収集ツールと割り切ってTwitterを再開する場合は、
少なくともそういうイライラ感、
要するに義務感や承認欲求を刺激されるようなことのない仕組みを作る必要がありそう。
そのためには手間がかかってもサブアカがもっとも手っ取り早いのですが、
一括リスト整理ができるツールが閉鎖されてしまったりしていて、
必要なフォローアカウントの把握と手作業での再フォローはかなりの手間になりそうです。
あるいは、イライラの原因をシャットアウトした上でメインアカウントを再始動するか。

ちなみにTwitter離脱の本当の原因についてはいろいろと思うところはありますが、
例の界隈そのものを評価しようと思えば、叩こうと思えばいくらでも叩けます。
誰が自分や界隈にとって迷惑な存在なのかはハッキリ分かっています。
ですがそれをここで書いたところで、イライラ感情がさらに増すだけで良いことはありません。
そもそも他人などというものは叩こうと思えばいくらでも隙があるのが普通だし、
誰かが叩き始めると、今度は叩いた人を別の誰かが叩き始めて地獄絵図、
などということがよくあるからです。
人間関係は、そういうことをしないという暗黙の合意があるからこそ成立するものだと思います。
なので、こんなことを言い始めると本当に崩壊が始まってしまうので言いません。

結局のところ今回自分が衝動的にTwitterを離脱したのは、
Twitter上で標榜している活動をもはや意欲的に続けていくのが難しくなったから。
これに尽きるのではないかと思っています。
モラル低下などの問題も結局これに繋がってくるのかなと。
公式からのコンテンツ供給がなくても、世代交代が起きてもある程度は存続できるけれど、
それも限界があるということなんでしょう。
界隈は誰一人最新作に着手しようとしないまま丸三年同じコンテンツで消耗し続けているわけですが、
これでコミュニティが存続している方が凄いのではないかと、改めて思います。

変わるのは大変だけど、ずっと変わらないわけにはいかないんだよ。

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