#5400

思う話


独り言


もっと単純に考えてみよう。
人は思い通りになれば気持ちが晴れやかになり、思い通りにならなければ嫌な気持ちになる。

何故自分は満たされないのかとか、漠然とした日々に焦りを感じるだとか、
他人の言動にストレスを感じること、自分の不甲斐なさに苛立ちを感じること。
それらすべて、思い通りにならないことが感情を動かす根本的な原因と仮定したとき、
原因はさらにふたつに分解することができる。
思い通りにならないことに苛立つとき、それは必ず「思って」「行動している」プロセスがある。
ぼくはしばしば「行動」に対して原因を求めては後悔していたものだが、
「思う」ことにも同じくらい大きな原因があるのではないか、とふと思った。

思っていることと現実が噛み合っていないとき、思い通りにならない可能性は高いと言える。
そのときに思っていることは、自分が「より良い」と信じている空想であったりもする。
到底敵わない昔の夢、あり得ない生活のハードル、不相応なモノ、不相応な欲求……。
しかもそれらは厄介なことに、自分自身で「不相応」であることに気づけることは稀である。
ふつうはこのくらいの希望を抱くのは妥当だと、自分に言い聞かせようとする。
それに必要な努力量や背負うべきリスク、持っているべき力量といった現実的なステータスは、
「思う」段階ではなく、それを実行する段階に至ってから向き合うことが多い。
しかし、その段階で現実性がないことに気付けば、
それはすでに「思い通り」にはなっていないということで、少なからず嫌な気持ちにはなる。

日常生活において、このような現実と空想の乖離はさまざまな程度で頻繁に起きている。
それら無数の小さなストレスが束になったとき感じるのが、
「何故今日はこんなにイライラするのだろう」という、根拠のない不満感なのだと思う。
あれもこれもと希望を多く抱き、それ相応に行動できないことはそれ相応に精神的負荷がかかる。
いっぽう、思っていることのハードルが低ければ、それが叶えられる頻度は大幅に増す。

自尊心は、何故か希望が一度叶ったら次はそれよりも高度な何かを要求してくるけれど、
そんな風に次々にハードルが高まっていったら、達成する頻度が落ちるのは当たり前である。
ちょうど、ゲームで言うところのレベルが上がるほど要求する経験値が高くなるのと同じように、
レベルアップの喜びはひとつひとつが重くなり、そして少なくなっていく。
ゲームの世界ではあらゆる行動は「経験値」という累積するステータスに還元されるけれども、
現実では、なかなかそうはいかない。レベルに反比例して思い通りにいかない日が増えていく。
それではとても心の安寧を保てないと思ったとき、原因を行動に求めると行き詰まってしまう。
だから、高望みすぎる「思い」を変えるところから始めるべきだと思う。
なったらいいな、よりも、きっとなるだろう、の方がよい。
できれば「これなら思い通りになるはずだ」という現実への一本の線を引いてみたい。

この四ヶ月、ぼくは言い知れぬ不安感の中で日常の維持に苦しんでいた。
その中で思い至った、この不安感の主な原因のうち半分は「睡眠不足」であると思っている。
もう半分は今書いたような、高望みし過ぎる思考回路にあるのではないかと疑っている。
ずっと綺麗に思い描いていた夢が、いつの間にか自分の生活や精神を束縛しているかもしれない。
夢ともう一度話し合う機会を持ちたいものである。

コメントを残す