#5422

綱渡りのような計画


空想


当日投稿が安定してきているのは良い傾向なのでしょうが、
徹底的に寝る前にしか書けないのを今度はなんとかしたい今日この頃です。
休日初日とはいえさすがに03時過ぎてから書くのはどうなの。
眠くなってからだと書こうと思っていたことも書けなくなって
とことん無難で無味な話題に落ち着きがちなんですよね。
そのせいで準ストック記事行きになっている話題が手元に6つくらい溜まってしまっています。

というわけで今日も無難な話題で。
今週末の自分は、というより最近の自分は「計画ありきの休日」を否定する向きがありますが、
今まで計画ありきで休日を過ごそうとしてきたことが失敗だったからといって、
計画を立てることそのものを否定するのも短絡的なのではないか、と思い始めています。
2008年からだったか、
自分は「帰ったらやることリスト」を挙げていくことで休日の指針を明らかにすることが
完全に定着して今に至るわけですが、それが破綻したそもそもの原因というのが、
立てられる計画が、実は計画の皮を被った「理想」に過ぎないからだと思うんです。
つまり計画と理想の混同。何をやるべきか、
ではなく何をやりたいか、で計画を組むことが癖になってしまっている。
とはいえ本来自由な休日。ある程度「何をやりたいか」を基準に計画を組むのも自然ではあり、
しかしやりたいことが必ずしも「できる」わけではなく……。
この辺のバランスの取り方が、十年経っても分かっていないということなんでしょう。

この状況を打破するひとつの指針としては、
計画は立てる。けれども、その内容が現実に即して「どう考えてもできるであろう計画」
であるかどうかをチェックする工程を一枚挟むこと。
これならできて当然だろうという計画なら、少なくとも出足から躓くことはないはず。
実際に休日に入ってやろうとしていたことが必要なくなったら、やらなければいいだけ。
要は理想を積極的に排除していこうというものです。

でもそうすると今度は、
できるかどうか分からないことに挑戦する機会というのがほとんど無に等しくなってしまう。
早い話が、人生において前進する実感、あるいは生活において刺激というものが減るわけで、
こういう生活を続けていくのものこれはこれで辛い。
なので理想を完全に排除するのも正解ではないんだろうなと思うわけです。

こう考えるとまるで「充実した毎日」を目標にした生活は綱渡りのような何かに見えてくるのですが、
現実問題としてこれはわりとこういうものなのか、
あるいは単に自分が考えすぎなのか……どっちなんでしょうね?

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