#5439

好奇心の方向性


文化


俗に言う「リア充」と「オタク」の違いについて。
リア充じゃないからといってオタクじゃないよね、ということを確認したくなったので
今考えていることをそれとなく文字化しておくことにします。

自分は、これらの違いは好奇心の方向性の違いだと思っています。
ネット用語でいうところの「リア充」とは、リアルが充実している人の略。
年齢相応、あるいはそれ以上にリアル生活がうまくいっている人種を指すのですが、
この場合は特にプライベートの交友関係の充実度を指して言われることが多いです。
学校の成績が悪くても、一緒につるむ友だちがたくさんいて放課後が楽しければ
それはまあリア充と言えるでしょう。
基本的にリア充と言われる人は、他人というものに対する興味が強いのだと思います。
いろんな人に興味があるから、友だちを選りすぐったりしない。
自然といろんな人と仲良くしたいという欲求が湧いてくる。
そしていろいろな人と接するにつれて、他人の目を気にして自分の身なりも整えようとする。

対して「オタク」とは、ある種の突き詰めた趣味を持っている人たち。
年齢不問の領域ですが、
少なくともその趣味に関しては一流であるという自負がなくてはなりません。
一流であれば、それは鉄道、貨幣、音楽、日曜大工、ビー玉、電卓、きんいろモザイク、
とにかくなんでも構いません。誰かに認められようが認められまいが関係ありません。
とにかくその人自身が一流であるという自負を持ち、夢中になれればなんでもいいわけです。
ある意味では大学教授なんかは「学問のオタク」と言えるかもしれません
(職業ゆえ、論文はいろんな人に認められないと通らないという現実もありますが)。
基本的にオタクと言われる人は、あるモノに対する興味が強いのだと思います。
その根本は所有欲だったり、知識欲だったりと様々な欲求があると思いますが、
そういったさまざまな欲求のよりどころを
たったひとつのモノや分野にすべてつぎ込もうとするのがオタクと呼ばれる人なのだと思います。

なので、まあ今更何を言っているんだという話ではあるのですが、
リア充ではない=オタクというのは成り立たないよね、という話です。
交友関係が充実していないからといって、モノに人一倍の興味があるとも限らない。逆も然り。
ネット掲示板によく書き込んでいる、ゲームをしている、
と言うだけでオタク扱いされた、みたいな話をたまに聞きますが、
ネット掲示板を利用することなんて、言ってみれば誰でもできるわけです。
誰でもできるようなことをやっているだけでは、「オタク」の定義にはあてはまりません。
ゲームに関してはさまざまなやり込みの程度があるので一概には言えませんが、
少なくとも自称エンジョイ勢の最新作だけ追いかけているゲーマーは
「ゲームオタク」ではなくただのエンジョイゲーマーだと思います。
いま、ゲームオタクと呼ばれるのはファミコンタイトルをコンプリートしたとか、
右に出る者がいなくなるほどひとつのゲームを何千時間とやり込んだとか、
そんなレベルでしょうね。
少なくとも、ゲーム以外に趣味を見出せないから仕方なくゲームをしているような人のことは、
ひとつのことにつぎ込んでいてもゲームオタクとは言えないと思います。

交友関係が充実しているわけでもない、かといって趣味が飛び抜けているわけでもない。
要するにリア充でもオタクでもない人というのは、
2018年現在、少なくともネット界隈を見渡す限りではかなり多くいるような気がします。

でも、もしかしたらそういう人こそが現代の「一般人」なのかもしれないなと、思うわけです。
リア充という言葉は本当にリアルが充実している人が作ったのではなく、
あくまでそれに該当しない人たちが、僻みの意味合いを込めて作られたスラングです。
ですのでリア充というのはあくまで理想像でしかないわけです。
オタクも最初は蔑称ではなかったそうです。
『電車男』がきっかけになって一時期「引きこもってネット掲示板に入り浸る人」
「不細工で身なりを整えようとしない人」を指して言われるようなこともありましたが、
そういう残念な人たちの属性は、上に書いたオタクの定義には必ずしも当てはまりません。
リア充も必ずしも容姿端麗でアウトドア派とも限らないですしね。

これらの言葉は優劣では語れないものだと改めて思います。敢えて優劣を付けるとしたら、
リア充もオタクも何かに対する意欲の度合で見ればどちらも優れていると言えるでしょう。

誰しもがどこかで特別な存在でありたいと願っている。
そんな思春期の残り粕みたいな感情を掻き集めてできあがったのが、
「リア充」「オタク」といったレッテルなのではないかと思う今日この頃です。
さあ、あなたはなれるとしたらどちらになりたいですか?

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