#5488

振り返った思い出 2018


独り言


一年を過ごすということは、旅をすることに似ている。
楽しくても苦しくても、それは平等に始まり、そして平等に終わっていく。
旅をする目的は、その旅ごとに異なる。
旅をすることそのものが目的である場合もあれば、
旅をすることによって得たい何かを求めてやまないこともある。

2018年の旅を振り返ってみると、今年は今までになく、
本意にしろ不本意にしろ、旅をすることそのものが目的だったように思われる。
今年は「白紙」から始めよう。
そんな元日の思いに、具体的にどういう意図があったのかは思い出せない。
前の年の続きのような一年にはしたくないということだったのか。
とにかく今までのぼくは、物事を抽象的に考えすぎる傾向があったように思われる。
抽象的な結論は、その場ではとても説得力があるように思えても、
時間が経つにつれて抽象的な考えにリンクされていた思考が削ぎ落とされてしまい、
何を言いたかったのかわからなくなってしまうことがある。つまり、劣化するのである。
2018年初頭の思想は、大晦日の今、それを具体的に思い出せないほどに劣化した。
しかし今思えば、そもそも今年は2018年を2018年たらしめる何かが、
最初から抜け落ちていたのではないかと思うのだ。
2018年でなくてはできない必然的な何かを思い浮かべることがなかった。
だからこそ、白紙から始めるという大義名分によって、
実際には旅そのものが目的の旅と化してしまったのではないか。そんな反省がある。

そして旅そのものが目的となったことで歩くスピードは酷く鈍化した。
ぼくは何も、漠然とした一年を過ごしたかったわけではなかったのだった。
しかし今年特有の何かがないために、
ある種必然的に前年と同じような日々が繰り返されることは、
前向きに生きることを阻害させた。
常に物事を前年と比べてどうだったかという物差しによって計ってしまい、
前年より劣っている何かを見出せばがっかりするし、
発展しなければそれはそれでがっかりしていた。
そんなことを繰り返しているうちに、今年は今年特有の発展を何一つ遂げられなかった。

そのいっぽうで、今年は厄年だったのではないかというくらい、
恵まれていないことが多く起こった一年でもあった。
去年秋に親しかった先輩後輩が一気にいなくなって穴があいた部署には
新しい人は入ってはきたけれども、自分とは真逆の立ち位置の人間ともあって、
去年と比べれば部署内の交流は随分乾いたものになった。
それによって前にも増して孤独になり、
このまま放置していたら鬱になるという危機感から六年ぶりに心療内科に通い始めた。
今年で十年目のTwitterでは初めて人間関係のトラブルを引き起こし、
和解には至ったけれども、それをきっかけに関連活動は一気に衰退した。
いろいろなことが、特に精神的な面において、限界を迎え破綻しつつある。
そんなことを実感する一年だった。

そのように次々と災難が降りかかる中で、
どうしたら前向きに物事を捉えられるのだろうという疑問と取り組み続けた。
だからぼくにとっての2018年は、ある面では不安と戦う一年だったように思う。
不安には二種類ある。自分自身と向き合わないことで起こる不安と、
自分自身と向き合いすぎることで起こる不安だ。
2017年のぼくはその前者と戦い、2018年はその後者に悩まされ続けた。
これを拭い去るもっとも手っ取り早い方法は、他者と交流することである。
自分しかいないのに、自分について考えないことなどできない。
自分のことを棚に上げてみてようやく見えてくる光もあるということなのだろう。
インターネットを交流の中心に据えて生きるようになって15年が経ち、
今更のように、この生活にはあまりにも人の温もりが少ないことに気がつく。
そして未だに自己顕示欲に飢えている自分を見るに、
この生活を続けていくと何かが破綻してしまう危険性がある。
2018年は、それに薄々と気がつきながら、打開する努力を怠ってきた。
孤独に耐えれば済む話だと思っていたからだろう。

今までは、どんなに孤独でもゲームを始め趣味に夢中になってさえいれば、
それに悩まされることは少なかった。
他者と交流することは絶対必要なものではなく、
あくまで生活の充実度にプラスアルファを加えるものでしかなかった。
翻って今、他者を必要としているのは、趣味に限界を迎えているからというのもある。
もちろん、今年一年すべてで趣味が冷めていたというわけではない。
ワクワクするような作品との出会いはあったし、それは幸福だったと思っている。
しかし、ワクワクできる絶対量が圧倒的に少ない。
自分が満足するために越えるべきハードルが年々上がっていくのを感じている。
今まではそれを時間不足のせい、会社のせいだと思ってきたが、
どうやらそうではないらしく、単純に趣味に対する意欲そのものが減衰しているらしい。
音楽は相変わらずだが、特にゲームに関してはそろそろ限界を感じている。
ここを乗り越えて一生の趣味にできるか、
若年期だけの思い出になるかは今が正念場だろう。

2018年は、2017年の一年間と比べれば酷く乾いた一年だった。
しかし、そうやって日々を過ごしていくうちに、課題や目標、不安、理想といったものを、
現実を通してよりシンプルに考えようとする精神は育ててこれたように感じる。
14年続いたブログがついに滅亡するかに思えた今夏から一転、
八年ぶりに安定的な継続更新ができるようになったのも、
そういった心境の変化の表れだと思っている。何も小難しく考える必要はなかった。
今の自分にできないことなら、できる範囲から答えを探し直すだけだ。
できない、できないと理想に執着し悩み続けるのは時間の無駄である。

安易に「最悪の一年」だったとは言いたくない。
けれど、全体を通して苦しい一年だったことは疑う余地もない。
しかしだからこそ、2018年はかけがえのない一年だったと思うのである。

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