#5506

形だけの縁


空想

突然、修了した大学院の在学生からSMSで連絡が来ました。
といっても別に学会や同窓会のお誘いでもなんでもありません。
どうやら自分が去年末に払った学会費が過払いだったみたいで、
余剰分を来年以降に払う学会費にあらかじめ回してもいいかという確認の連絡でした。
たぶん、学会の出納係を現役の大学院生が担当することになっているんでしょうね。
そういえばそんな役割が自分の在学当時もあったような、なかったような……。
少なくとも自分の役割ではなかったはずですが。

まぁそういうわけで、
自分はなんだかんだで未だに大学院の学会費(同窓会費含む)は払い続けていたりします。
特にこれを払い続ける義理もないし、払っている人限定の特典である学会誌も
これといって熱心に読んでいるわけではないのですが、
ただ学生時代にお世話になった最後の縁を切りたくないというだけの理由で払い続けています。
年額5,000円未満で、特に高額でもないですしね。

これを払い続けているのは、大学の方はもう完全に縁が切れてしまったからというのもあります。
大学卒業当時といえば去年秋まで続いたブログ後日投稿問題の発端となるほど、
卒論、大学院入試、引っ越しと大規模なリアルイベントが立て続けに起きてしまったことで、
今となっては想像できないほど、毎日忙しく過ごしていました。
実際に奔走していたのか、心が折れて寝ていたのかは分かりませんがとにかく忙しかったです。

それに加えてお金もありませんでした。
当時の自分はそれはもうお金の管理に関してはアホを極めていたので、
生活できるギリギリ以外のすべては趣味に充てるという使い方が当たり前になっていました。
奨学金が余れば、おおよそ趣味に全部使ってしまっていたというのが実情です。
当時の自分に言わせればそのつもりはなかったと言い張るでしょうが、
結果的にはそうなってしまっていました。というかそもそも使えるお金が少なかったんですよね。
ゆえに、貸与が終了する卒業寸前はかつてない金欠状態でした。
本当に残りの貯金が10,000円切るところまで追い詰められていた記憶があります。

なので、卒業寸前にはお金が必要な物事はすべてスルーせざるを得ませんでした。
その中には、最初の数年分の振込が必須の同窓会の申し込みや卒業アルバム、
地元の人と交流する最後のチャンスだったはずの卒業記念懇親会も含まれていました。
お金があったら今も学部時代の縁が続いていたという保証があるわけではありませんが、
お金がなかったがためにこれらを自分からバッサリ切らざるを得なかったというのが現実です。

当時の自分はそういう縁がどれほど大切なのかなんてさっぱり分からなかったのですが、
後々になって、今でもたまに猛烈に後悔することがあります。
大学院の縁を切らないでいるのは、その後悔の念があるから、その一点につきます。
とりあえず定期的に学会誌を送ってくれるというその「つながり」のためだけに
年数千円の費用を払っているといっても過言ではありません。

いつか大学の図書館に行って、自分が書いた幼稚な幼稚な卒論を読み返してみたいな、
あわよくば別にお世話になったわけでもないけどゼミの教授と一言二言くらい話をしてみたいな、
などとたまーに思うことがなくもないですが、実現するかどうかは正直分かりません。
そもそも自分にとって大学時代というのが黒歴史の集大成みたいなもので、
今は思い出補正で大分浄化された感はあるけど、
人並みに懐かしむ権利も思い出も持っていないですからね。
だからこそ、一昨年に大学時代の舞台に数年ぶりに降り立ったときも、
大学に行く勇気はどうしても出てきませんでした。
そのリベンジの機会はいずれやってくるのでしょうか。

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