#5507

迷いながらその道を歩く


空想

ここ最近、自分のブログを読み返すことがプチブームになっていたりします。
ちゃんとした校閲作業も2014年の移転以来ほとんどまともにやっていないので、
そのうちやらないとなぁと思いつつも、これだけ膨大な量だとどこから手を付ければ良いのやら。
あんまり義務感で読むのも嫌なので、今日と同じ日付に書いた記事のみ読み返しています。
例えば今日だったら、各年の01月19日の記事14本を読んでみるといった感じですね。

そんな感じで記事を読み返していたら、就活のことについて
『「やってもやらなくてもいいのなら、やりません」と言ってきた分だけ煮え湯を飲まされる』
#2522『無気力三昧』2011年01月18日)という記述があって、ハッとさせられました。
我ながらこれはなかなか至言だなと思いました。
就活を含む人生の分岐路において左右するものというのは、
別に他人から「やりなさい」と言われるわけでもありません。やらなくても罰則はありません。
それは例えば必要な資格だったり、勉強だったり、忍耐だったり、努力だったりするわけです。
それらはただただ「自分のため」に用意されたハードルであり、
飛び越えるのも無視するのも自分の自由。他人は一切関係ありません。

だから、子どものように他人の「やりなさい」を待っていると、
どこどこまでも行動できないため、締め切りが迫ってから大変痛い目に遭います。
そのまさに代表格と言ってもいい存在が、就活というわけです。
就活の一歩前には受験という大きなハードルもありますが、
これは一般的な家庭ならば親に背中を押されるのが普通ですからね。
親に「やりなさい」と言われてなおもハードルを無視するような人は問題外。
就活はいわば後押しがない最初の大きなハードルだと思うんですよね。
そういう場面で「やってもやらなくてもいいこと」が目の前に転がってきたとき、
それを避ければ避けるだけ、後で無残な詰みが待っているのが就活というステージだと思います。
自立心を問われる場ということでしょうね。
もちろん受験でもそういう力は問われますが、就活ほど振れ幅は大きくないと思います。

そんなわけで今日は残り2回となったセンター試験の初日だったそうです。
受験当時の自分は「問題外」の範疇にいる人間だったので、センター試験の季節になるたびに
「記念受験だから」と受験を舐めていた当時の自分をぶん殴りたくなりますが、
しかし良い大学に行くということは究極的には、履歴書に箔を付ける行為に過ぎません。
たとえ東京大学に行っても4年間引きこもっていたらまったく意味はなく、
結局のところ大事なのは大学生活をいかに充実させられたかに尽きると思うんですよね。
社会にしてみれば、人間性が欠けていたらどんなに高学歴でもその人の価値は無いようなもの。
そういう意味では、受験を舐めていた当時の自分よりも
就活を前にしてロクに動かなかった当時の自分の方がよっぽど罪深いと思います。
それを最後の最後に思い知って出てきた言葉が、上記の言葉だったのかもしれません。

これから大学生になる人には是非、真剣に考えてみてほしい問題です。
自由すぎる大学生活において、「やってもやらなくてもいいこと」をどう片付けるかという判断は、
もしかするとその人の一生を左右するような大事に繋がってくるかもしれません。
今日できることは今日やっておいた方が身のためですよ。
そして何をやりたいか、やるべきなのかは
理想と現実に照らし合わせながら一生懸命に頭を働かせて判断していきましょう。
あんまりサボっていると、ちょうどその分だけ社会に出てから苦労します。これは間違いないです。
まぁ、当然ながらこれらのことは現在の自分にも言い聞かせるべきことなんですけどね……。
ある意味では受験や就活のみならず、人生観の問題とも言うべきでしょうか。

コメントを残す