#5527

電子的威嚇行動


文化


Twitterのような情報媒体において、
主語を曖昧にして批判を展開することを「空中ディス」と言います。
検索してもほとんど情報が出てこないことからTwitter黎明期特有のネットスラングと思いますが、
2009~2011年くらいまでは普通に使われていた気がします。
「アニメアイコンは総じて呟く内容が気持ち悪い」「猫アイコンは保守傾向が強い」
みたいなやつですね。

今週初頭、この空中ディスというものが本当に絶対悪なのかということを考えていました。
リプライの伴わないTwitterのつぶやきなどというものは所詮一人言の類であって、
例えばTwitterにおいては常日頃のツイートとして「(寝起きで)気持ち悪い…」
みたいな主語が抜けているネガティブな内容も多く見かけられるわけです。
それらと空中ディスは主語が抜け落ちているという点では共通しています。
結局のところ、一人言を勝手に「自分のことを言っている!」と解釈する側にも問題があって、
空中ディスそれ自体が全部悪いわけではないのではないか、と。

と思っていろいろ調べていたら、あるサイトに
「空中ディスは、批判を展開することによって自己主張はしたいが反論はされたくない場合に使う」
というような記述があってハッとさせられました。
自分が持っているコミュニティに対する鬱憤を晴らしたい。しかし批判は受けたくない。
そんなときでもつぶやけてしまうのはTwitterの欠点と言えるのかもしれません。
現実だったらある人の不満は第三者に愚痴るなりして解消すればいいところを、
Twitterでは当該本人が「読んでいるかもしれない」という
際どい状況でしか鬱憤を晴らすことができない。

しつこいですが例のトラブルについても、お互いにコミュニケーションを回避しようとした結果、
それでも相手に「自分はこんなに怒っている」ということを表明したいがために行動したのが
ブロックという機能を使うことだったのではないか、と思うわけです。
相手にしてほしくないことを、相手に直接言うことを怠った結果だったのではないかと。
自分ももしかしたらピク杯のパクリ企画を出してきた時点でただ憤慨ばかりしていないで、
冷静に「それはやめて」と直接言う勇気があったらよかったのかもしれません。
コミュニケーション能力不足によってそれができないからこそブロックに逃げてしまったのでしょう。

いろいろグルグルと考えていましたが、今のところ結論としてはこれに落ち着いています。
元の発端もブロック行為も、その後の騒動も、その引き金は「自分だけは否定されたくない」
「相手の意見を受け入れられない」「うまく自分の気持ちを伝えられない」
といったお互いのコミュニケーション能力不足(あるいはその根底にある傲慢さ)であって、
それ以外は実は大した問題ではないのかもしれません。
強いて「どっちが悪い」と決める問題でもないですよね。
常識から考えれば「ごめんなさい」を言えてないどちらにも落ち度はあるというだけの話。

で、空中ディスは絶対悪なのかということについてですが、
つぶやいている場所が数百人というフォロワーに読まれている公共の場ということを考えると、
やはりそれはできればやめたほうがいい、というより是非やめるべきだという思いに至りました。
が、それでも最近の自分は如何ともしがたく空中ディスを展開してしまうことが間々あり、
自分でもなんとかできないのかと悩んでいます。
この手の発言は結局誰かには読んで欲しいという意図はあるので、
読んでいる人の数が絶対的に少ない裏アカでは意味がないんですよね。
今のところ、ログもアーカイブも残らないリアルで愚痴るなりして
この鬱憤を晴らすのが一番マシなのかなという程度の解答しか考えられません。
同じことを発信するにしても、「書く」よりも「喋る」方がスッキリしやすいのは確か。
このブログのようにひたすら書いていると堂々巡りに陥ってしまいがちです。
こういった点ではリアルは楽ですね。

このブログで引用するのは二度目ですが、
空中ディスについて2010年にふぁぼったある人のつぶやきが今も頭の中に残っています。

空中ディスは刺さってほしい人に刺さらず、刺さってほしくない人に刺さる。

Twitterを使う誰もが心に留めておいてほしい名言だと思います。
これをつぶやいた人は遙か前にアカウントを消してしまっていたので読み人知らずですが、
Twitterが当たり前になって久しい今、改めてこの言葉を噛みしめて過ごしたいものです。

ちなみにこの文章を書いたのは今週の火曜日で、
今は精神も安定していて空中ディス発言をしようという思いは一切ありませんのでご安心ください。
一日二本書いてボツにするつもりでしたが、金曜日に書くことがなかったので公開してしまいます。

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