#5529

大人へと至る考え方


備忘録

熊代亨『「若者」をやめて、「大人」を始める ~成熟困難時代をどう生きるか?~』
(2018年、単行本 [イーストプレス])を読みました。

気が付けばもういい歳になってしまっているのに、「大人」になった実感がない。
そもそも「大人」になるというのはどういうことなのか?
そんな漠然とした不安を抱く「若者」に宛てた、
「中年も意外と悪くないよ」という視点から大人とは何かということを主観的にまとめたメッセージ。
前著『認められたい』(#5338『承認欲求の満たし方』2018年08月04日)に引き続いて、
わりと短期間での読了ができたので感想をさらっと書きます。

*  *  *

若者は常に自分の可能性を信じてやみません。
自分自身が「かくあるべきだ」というものを探し続け、落ち着ける場所を探しています。
それは例えば趣味だったり、仕事だったり、人間関係だったりするわけです。
しかし、肉体的年齢が重なってくると、
これらを探し続けるのは体力的にも精神的にも社会的にも徐々に難しくなっていきます。
社会生活が忙しくなれば、なおさら「これこそが自分だ」というものを探す余裕はありません。
こうして人は、徐々に新しい何かに自分らしさを見出す余裕がなくなっていき、
思春期~若者時代に集めた手札だけで勝負をせざるを得なくなる日というものが来ます。

エリクソンの発達段階説によれば、「大人」、つまりアイデンティティが確立して成人期になると、
他人を世話することによって喜びを感じるようになります。
自分自身の「これこそが自分だ」という精神が確立した中年は、
自分よりも若い後進が自分よりも遙かに早い速度で成長していくのを知っています。
であればこそ、すでに確立して自立している自分自身よりも、
不安定な後進をバックアップすることに喜びを感じるようになるのです。
そのもっとも分かりやすい例が、子育てだったり、管理職だったりするというわけです。
ただし、エリクソンによれば、この発達段階は飛ばすことはできません。
思春期のアイデンティティの確立が確立していないうちには「大人」にはなれず、
無理矢理「大人」になろうとすると精神的な歪曲が生まれてしまうと警告しています。
例えば、思春期にやるべきことをできなかったと悔やみ続けている若者が結婚して子育てを始めたら、
親の個人的な理想を子どもの思春期に重ね、子どもに無茶な要求をするというような事例です。
アイデンティティが確立しないうちに「大人」になることはできません。

さらに、現代は「大人」になりにくい社会になっていると著者は指摘します。
昔は町ぐるみの付き合いがあり、通過儀礼などが明確に存在していました。
その中では今よりは確実に「近所の年上」と接する機会が多かったため、
当時の子どもたちはそれを見本にして「大人」になることができました。
しかし今はそんな縁は日本全国探してもなかなかありません。
何にしてもこちらから働きかけないと異世代コミュニケーションができない世の中になっています。

また、社会全体が若者志向になっているため、
「若者」からの脱却がしにくくなっているとも著者は指摘しています。
世の中を席巻する文化は大抵若者が中心であり、「大人」にスポットが当たることはありません。
「大人」になるとこんないいことがあるよという声があまりにも少ない一方で、
自分磨き、自分探し、そんな精神を後押しする声が多すぎるというのです。
だからこそ若者は「若者」であり続けることを正しいと思い込んでしまう、そんな風潮がある。
さらに輪を掛けるように、子育てにしろ経済的負担は増大し続けていて、
「大人」になれるのはまるで一握りかのような、椅子取りゲームになっている現状もあります。
それゆえに、現代には40歳を超えた「若者」が少なくありません。
だからこそ現代社会は誰も大人になることを強制せず、強制されることもなくなりました。

しかし、永遠に「若者」でいることにはリスクもあります。
趣味ひとつを取っても、10代と20代ではそれにかけられるエネルギー量がすでに大きく違います。
30代、40代と熱中できる熱量は体力的、精神的その他諸々の理由によって先細っていきます。
就職すればなおさら忙しくなり、趣味を持続するのは難しくなっていきます。
そのような若者にとって、未来というのは大変に不安なものです。
趣味こそが生活の要なのに、それが先細っていくのはとても辛い。
そのうえ、新しい世代には次々に追いつかれ、追い越されるのが常です。

しかし、それは自己同一性が精神の真ん中にある「若者」ならではの価値観であって、
「大人」はまったく違う世界を見ています。
もしかしたら、趣味の維持に苦労している人は「大人」になったら見方が変わるかもしれません。
例えば自分は趣味をしなくても、
自分やっていた趣味を後輩が盛り上げているのを見て十分に満足できたりするのです。

本書では著者は「大人」になることを勧めているわけではありませんが、
あえて「大人」への階段になるものを挙げるとしたら、
それはやはり現在の「大人」からよくよく話を聞くことを挙げています。
著者は大人の定義を「世代や立場が違う人に、その違いを踏まえて対応できる(p.38)」
としていますが、これはそのまま「若者」にとっての課題でもあります。
あらゆる価値観の人を尊敬できる精神を目指していけば、
その先にあるのは年老いることに焦る日々から抜け出した「大人」の世界なのかもしれません。

*  *  *

相当主観が入っていますが以上のようなことが書いてありました。
内容的に短時間でまとめるのはかなり難しかったです。ざっくばらんですみません。
若者=恋愛、大人=結婚という恋愛観についての考え方も参考にはなりましたが
その話を始めると収集がつかないので割愛とさせていただきました。いずれ別所で。

自分としては、中年時代を迎える気構えのヒントみたいなものがあればいいな、
というくらいの気持ちで読みました。目次を読むととても共感する部分が多かったので、
そういう意味では期待して読み進めていったところもあるのですが、
分かりやすく、ハッキリと答えを提示してくれる本ではなかったかなというのが率直な感想です。
「大人」は良いが「若者」も良いということで、最終的な判断はすべて読者に委ねられている。
であればこそ、自分がどちら派なのかという思いをしっかり留めておかないと、
読み終わってもなんとなくどっちつかずのような気がしてしまう……。
たまには先入観を持って読むことも大事なんだと思いました。

まぁ、単に自分がまだ「大人」ではないので、なかなか共感するのが難しかった、
というのもあると思いますが。

また、自分はそもそも「若者」にもなれていないのではないかと思いました。
本書ではアイデンティティ確立の対義語として「アイデンティティ拡散」という言葉が出てきます。
あれもこれも気に入らない、人間関係もリセットしたい……
そんな欲求を抱えていることを言います。まさに一時期の自分じゃないか、と。

というわけで、自分はまず「大人」になる前に思春期の成功と失敗をもう一度噛みしめて、
れっきとした「若者」になる必要があるのだと思いました。
その上で「大人」に向かうロードマップを描くとしたら、
今の自分はとりあえず年齢的にはまだまだ「若者」の範疇だと思うし
(年下世代からは「えっ!?」と言われちゃいそうですが)、
新しいものを受け入れられる余地がある限りなるべく受け入れていきたいなと思っています。
そして40歳から先は、長い時間をかけてそれまでに受け入れたすべてを整理していきたい。
社会的云々を別にして自分にとっての「若者」と「大人」の境界線はその辺にあると思っています。

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