#5542

失敗の話


独り言

退屈を嫌い、何か新しいことに勢いよく着手したくなったとき、
それは何らかのリスクを忘れている可能性があることを肝に銘じておきたい。

閉じこもって生きていると、自分が知っていることが世の中のすべてのように思えてくるけれど、
実際の世の中は自分が知っていることよりも、自分が知らないことの方が圧倒的に多い。
ふと、それを忘れたまま退屈な日常生活の殻を破って外に出たい欲求に駆られることがある。
すると、自分の知らなかったことが現実を予想外にねじ曲げ、
酷い仕打ちとなって自分に返ってくるのだ。
僕はこれまで、「黒歴史」が生まれるのは承認欲求の暴走が唯一の原因だと思ってきたけれど、
実際には、「知らなかった事実」に丸腰で向かって行ったときも、
多くの場合黒歴史を生むことに繋がっているような気がする。

それは何故か?
リアルタイムで的確に対処することは、思っているよりもとても難しいからだ。
自分が何一つ知らない世界で、その場その場で的確に対処していくためには、
少なくとも普段自分が拠り所にしている知識は通用しない。知識ではない何かが必要らしい。
なんでもかんでもインターネットで事前調査できるようになった現代は、
特にそういう場面に出くわすことが少なくなった。
それゆえに、まったく知らない世界へ放り出されることに慣れることがない。
まったく知らない世界で何を頼りに判断していけばいいのかが分からずに頭が真っ白になってしまう。
自分はインターネットに依存して生きているんだということを思い知らされる瞬間である。

あとから思い返せば、ああやって対処すれば良かったんだという思いが次々に浮かんでくる。
それは、その方が絶対に適切だったというある種の確信となって記憶に刻まれていく。
思えば、僕の頭の中はそんな風に
「もしこうしていたら」という現実から分岐した空想上の現実が多くを占めている。
僕は、リアルタイムで対処できる能力は無いが、
時間をかけて自分なりに納得の行く答えを出す能力は持っているらしい。
だからこそ、あらゆる事実は後悔に姿を変えて頭の中を永遠に圧迫し続けることになる。

人生を思い返せば、僕がいままでしてきた行動は成功よりも失敗の方が圧倒的に多い。
少ないが、後悔を生み出さずに済んだ現実というものもあるはずなのだ。
しかしどうやらそういった成功体験というものは忘れやすいらしい。
言い換えれば、後悔に変換された(ネガティブな)事実は記憶に残りやすいということでもある。
これは長年ブログを続けてきて得た知見にも近いところがある。
ポジティブなことは書ける消費期限は非常に短く、結局書かずに終わることも多いが、
ネガティブな事実は何年経っても事細かに書き続けられることが多い。
そのような認知のゆがみが、少なくとも僕の中にはあるらしい。

自分を支えているのは、多くの失敗体験よりもわずかな成功体験である。
それが自分に「自分とはこういうことができる人間である」という自己同一性をもたらし、
精神的な成長をもたらすのである。
失敗体験は反省となって知識や経験値として還元されるけれども、
それそのものがポジティブな意味での「自分らしさ」を形成するわけではない。

しかし現実は世知辛いもので、いつも自分が成功できるとは限らない。
しかも、常に他人と比べて成功しているかどうかを比較されるのが現代という世の中である。
それ故に、丸腰で新しいことに挑戦して大失敗を喫する「黒歴史」が生まれるのも、
ある意味ではどうしようもないことのように思える。
そうして強く反省して知識や経験として蓄えていくことそのものは罪というわけではない。
世知辛いからこそ、世間はある程度までの失敗は笑って許してくれる。

そう、失敗そのものは別に法律に背かない限りは悪いことではないのだ。
若気の至りと言うように、知らないことの方が多いうちは失敗することにも意味はある。
しかし、それを反省しすぎたり、成功体験をないがしろにしたりすることは良くない。
少なくともそれに脳内リソースを延々と費やすことは、前向きに生きることを阻害する。
失敗に関して一定の結論を出したら、そこで議論を打ち止めにできるような思考スキルが欲しい。
おそらくそれは、アウトプットすることで一定の効果は得られると思う。
他人に失敗体験を話す。あるいはこのようにブログのようなメディアに吐露する。
それによって形ある結論を形成し、一区切りとすることができる。
脳内でどんなに考え尽くしても、「失敗」が「成功」に変換されることは少ない。
失敗を認められなければ、永遠に足踏みを続けるだけである。

ゲームのスコアアタックも、たったひとつのハイスコアは何百回というリトライの上に立っている。
だからこそ誇らしいと思うのである。一発で出したスコアがハイスコアでも、何の誇りも生まれない。
無数の失敗とどう向き合い整理していくかという問題は、
その上に立てる成功体験を安定的なものとするために必要な所作であると思われる。

そうやって多くの失敗と折り合いを付けていった先に、
ようやく過去ではなくこれから起こる出来事に目を向けることができるようになる。
そこで初めて人生は前を向くのである。

後悔を繰り返しているうちは一歩も前に進まない。

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