#5575

働くということ


独り言

人は何故働くのだろう。

働くということは「誰かに必要とされたい」という人が持つ巨大な欲求を満たすための所作であり、
お金をもらい、そしてその分自由に使うことができるという社会参加の根源を成している。
この世の中は、フタを開けるととてつもなく広い空間に、無数の歯車が回り続けている。
社会に参加するということはその歯車のひとつになるということであり、
それはどの歯車も唯一無二である。だから、働く人は誰もが必要とされている。
仕事のやり甲斐や、お金を得ることはその副産物に過ぎない。
しかしその副産物によって人は仕事を肯定できるようになる。
人は何故働くのか。それは、それによって仕事時間を含めた人生が、より良くなるからである。
働かずに生きることはあらゆる意味で限界があり、行き止まりがある。
しかし、社会に参加するということはどこまで言っても終わりがない。
発見があり、出会いがあり、楽しみがあり、またその逆も然り。
要するに僕は、何故働くのかといえば、社会というものが面白いからなのだろうと思っている。

僕は大学時代、人としてのどん底に落ちていた。
当時就職活動についてもいろいろと煩悶していたけれど、本心では働きたくなかったのだろう。
当時の僕がやりたいことというのは他人が介入しないところで、
自分だけの時間を費やしてこそ達成できるものだと思っていた。
だから「働く」ということは、それを阻害するものでしかなかったのだ。
そもそも社会とは何なのだろう、自分とは何なのだろう。自分は歯車になれるのだろうか?
そんなことも想像することでしか推し量ることができない。
当時の僕にとっての就職活動とは、ネガティブな妄想の一環にすぎなかった。

そんな妄想が実を結ぶはずもなく、学部時代の僕はついにまともな就職活動をせずに終わる。
友人の薦めで逃げるように大学院に進むと、
そこでは「人に認められること」の突き抜けんばかりの嬉しさと、
それに必要な努力量のおぞましさの両方を突き付けられた。
研究意欲のなかった僕はたちまち落ちぶれて、生活リズムの崩壊に悩まされ続けた。
それでも結果的には大学院時代でこそ、今に繋がる忍耐力や持久力を培ったように思う。
この経験がなかったら社会人を生き残れなかったと半ば確信している。

大学院も卒業してしまい、いよいよ働かざるを得なくなった。
しかし相変わらず働くことの意味を見出せない僕は動くことができない。
そんな折、僕がずっと好きだったゲームのシリーズ最新作が九年ぶりに発売することになった。
是が非でも欲しい。そのためにはお金を得なければ。
こうして僕はお金という副産物を目的にして、社会人の第一歩をふみだした。
その半年間で得た教訓は、「お金のためだけなら、意外となんとかなる」ということだった。

半年間のアルバイトを経て、次は少しでも「やりたいこと」に近い職場を選びたいと思った。
最低時給分頑張ることなら自分でもできる、それならばプラスアルファの価値を追い求めたい。
しかし同時に、自分がコミュニケーション能力に多大な問題を抱えていることも分かっていた。
いきなり愚直に夢を叶えようとして、今の自分はそれに応えられるのかと言えば、応えられない。
だからこそ、ある程度コミュニケーション能力が高くなくてもできそうな業種であり、
なおかつ自分のやりたかったことも事業のひとつとして行っている会社を選ぼうと思った。
そうして探していって真っ先に見つかったのが、今日まで五年間勤めてきた会社だった。

情報処理チームに配属され、言われたことをこなすだけになるはずだった一年目。
自分が入って三ヶ月目に、とある大型案件が入ることになる。
これが後に自分が主任となる今も社内で最大規模を誇る案件なのだが、
当時は自分の先輩に当たる社員がその統括を担っていた。
ところがその社員は連日の徹夜残業、上司からの猛烈なパワハラに耐えられなくなり、秋に辞めた。
ここがブラックな会社であることは入社して三日目に気が付いた。
何故そこで引き返さなかったのか。何故か引き返すという発想がなかったからだ。
当時の僕はここで是が非でも頑張らなければならないと思っていたし、
仕事は障壁があるのは当たり前だと思っていたからだ。その障壁が僕たちにとっては上司だった。
そうして僕は先輩社員の仕事を引き継ぐことになった。

残されたチームメンバーのうち、一番古くからいる年下の女の子がチームリーダーになった。
ところがその子は上司にとってはよいサンドバッグのようなものだった。
ある日、朝礼前に上司がその子を叱りつけて、ついにその子は泣いてしまった。
しかし、朝礼当番は彼女である。上司は泣いているその子に朝礼を取り仕切るように怒鳴りつけ、
その子は泣きながらでも司会進行を努めてやり遂げていた。
それを、見ていることしかできない自分の不甲斐なさに嫌気がさした。
この会社は、間違っている。と、心底から思った。

一年目の年末、大型案件が佳境を迎え、初めて計画が大々的に破綻した。
僕は連日の徹夜残業になった。50時間以上、黙々と作業をしていた。
四日目、午前中で帰っていいと言われ、会社を久々に出たときの解放感は忘れられない。
そうして僕は、大型案件を残業してでも何とかする人員として会社にとって重要な立ち位置についた。
先輩の女の子が心を病んで2015年初夏に辞めたあとは、朝礼を取り仕切ることもあった。

二年目は新たな大型案件が入り、それと同時に少し年上の女子が自分の後輩として入社した。
二年目からは自分が大型案件の管理をある程度コントロールできるようになり安定していたが、
やはりというべきか人員不足の壁は高かった。
定期で入ってくる案件であり必要人数は分かっているにもかかわらず、
そしてそれを把握しているにもかかわらず人員補充を行わない人事部のおかげで、
二年目も一度徹夜を経験した。
この会社は、合理性を信じることができないのである。だから肝心なところはすべて人の力に頼る。
しかし人力で歯車をすべて回すにも限界というものがある。
そうしてあらゆる案件で何度も破綻しているにもかかわらず、やはり合理性を信じることができない。
「仕事に必要なのはまず精神力」というスピリチュアルな信仰が根強く残っている会社である。

僕はこの二年間で、この会社に居続けることの効率の悪さを感じるようになった。
本当にここに居ていいのだろうか? という疑問が初めて浮かび上がったのである。
それは遅すぎる気付きだったのかもしれないが、結局決断することができずに三年目に突入する。

三年目は2017年秋までいてくれた二人目の後輩が入り、二人で大型案件を回していくことになる。
僕は、この後輩と出会えたことは非常に幸運なことだったと思っている。
この後輩は、先輩と同じく年下の女の子だったのだが、何より後輩は、頼るのが上手だった。
先輩と違って自分を全面的に頼ってくれた。上司に叱られて泣いてしまったときもそうだった。
だから僕はそれに応えようと思った。その気持ちが自立心を芽生えさせたように思う。
人は頼ったり頼られたりすることで前を向くことができ、
そうして初めて信頼しあったり、仕事をしたりすることができる。
そんなことを教えてくれたのが後輩だった。
そして、僕を頼ってくれたのはその後輩だけではない。
僕はこの仕事を通じて150人以上のスタッフを管理する立場にあった。
その中にはほとんど接触しなかった人もいれば、やはり自分を積極的に頼ってくれる人もいた。
「必要とされる」ことが、こんなにも仕事を前向きに捉えるきっかけになる。
それを学んだのが三年目、四年目だったように思われる。

そしてその四年目、後輩が辞め、そして僕とずっと一緒にやってきた最後の仲間もいなくなった。
僕はこの人のことを忘れない。
この人は、誰にでも気さくに話しかけられる明るい人だった。
だから僕にも気さくに話しかけてくれた。大学、大学院と経て人間不信になりかけていた僕にとって、
それは人生観に光を与えるような存在だった。だから、その人には今でも感謝が尽きない。

その人は僕と同じく会社のルールや上司に嫌気がさして辞めていった一人だった。
僕はその人がいなくなった時点で、これ以上頑張れる気がしなかった。
だから辞めようと決意して、2018年02月には転職サイトにも登録した。
にも関わらず、辞めるとは言えなかった。勇気がなかった。
そうして五年目は、それまでは四人いた大型案件をたった一人で回すようになった。
とても孤独には耐えられないと思った。人に必要とされているから仕事を頑張れたのに、
人との接点がなくなってモチベーションが保たれるはずがなかった。
2018年12月、年内最後の出勤日に僕は社長室のドアを叩いて、辞めるということを伝えた。

辞める理由は前向きな理由と、後ろ向きな理由それぞれで複数ある。

まず後ろ向きな理由としては、やはり会社の時代遅れな風潮に心底嫌気がさしたからだった。
会社の裏側の話をすると、地方の中小企業はネットワークである程度繋がっており、
そのネットワークの中心的な存在が、経営者に「従業員の動かし方」を指導している。
その指導の内容というのが、先述した「まずは精神力」というスピリチュアルな考え方であって、
地方の経営力のない企業はそれによって半ば洗脳されているというのが実態である。
この会社もそうだった。だから無意味なミーティングや無茶な残業などが常態化していたし、
それに異を唱える人が誰もいなかった。時代遅れも甚だしい。
ここに居続けたら、僕はいずれ会社に人生を踏み潰されてしまうと思った。

もうひとつの後ろ向きな理由は、やはり2018年度に入って仲間を失ったことだった。
逆を言えば、ブラック会社で五年間を生き残れたのは仲間がいたからだったとも言える。
実は僕は2014年秋の時点で一度辞めたいという相談をしていて、
それから「いつか辞めたい」という気持ちは一度も揺らぐことはなかった。
それでも踏みとどまれたのは、自分を頼ってくれる仲間が居たからだった。
頼り上手な仲間に恵まれたのは幸運だった。

前向きな理由としては、この生活を変えたかったからだ。
この会社に依存している限り、僕は永遠に実家を出ることができない。
それはつまり自立することも敵わないということである。
僕は2016年からの一人旅を通じて、東京都市圏で働きたいという希望を抱くようになった。
東京で働くことができれば、暮らすことができれば、どんなに素晴らしいことだろう、と。
それに挑戦する最後のチャンスが欲しいと思うようになった。
そのためには、やはり今の会社と決別する必要がある。

前向きなもうひとつの理由は、もっと発展的な仕事がしたいと思ったことだ。
僕は仕事を通じていろいろな魅力のある人と出会ってきた。
それ自体はとても素晴らしいことで、大型案件の主任になったことは自分の他人観を大きく変えた。
大卒時点で「やりたかったこと」が今でも本当に「やりたいこと」なのかは分からない。
けれど、これまで携わってきたことよりも、もっとたくさんの人を相手にする仕事をしたい。
あわよくば、それを通じていろいろな人と価値観を交換したい、と思うようになった。
僕はもはや「認められたい」という欲望を趣味でかなえられるとは思っていない。
その欲望の捌け口を仕事に求めていきたいと思っている。
これは2014年入社前と2019年退職現在それぞれの自分の考え方の、最大の相違点であると思う。

退職日の朝礼当番は僕だった。
僕はそこで10分間のスピーチ時間をもらい、そして今の気持ちを洗いざらい吐き出すことにした。
大学で落ちぶれ、大学院を経てWeb制作という夢をみてここにきたこと。
しかしこの会社は謎のミーティングやパワハラなど時代遅れな価値観が渦巻いていること、
そしてそれによって心に傷を負った女の子が2015年に退職しているという事実。
それが嫌になって退職を決意したということ。
そして、五年間を支えてくれたのは上司ではなく、自分を頼ってくれた仲間たちであったこと。
また、会社は嫌いだが大型案件の主任として続けさせてくれたことには感謝していること、
それによって多くの人生観が変わったこと、そしていろいろな迷惑をかけてきてしまったこと。

朝礼にはもちろん上司もいたし社長もいた。特にその場で叱責されることはなかった。
僕は最後までパワハラの対象にはならなかった。
上司の直接的なターゲットにならないよう、うまく距離感を詰めないように立ち回ってきたつもりだ。
だからこそこんなこともみんなの前で言えた。
内心では何を思われたのかは分からないが、僕は伝えられたということだけで満足はしている。

勤務時間はつつがなく進み、そしてあっという間に退勤時間になった。
残っている一人一人にいちおうの挨拶をして、そして退勤した。
五年間当たり前だった通勤路を走るのもこれで最後になるはずだった。
しかしどうしても実感が湧かなかった。
僕は、てっきり業務の辛さが爆発して、どうしようもなくなって辞めるものとばかり思っていた。
しかし実際には、業務が原因で辞めたつもりは微塵もない。
むしろ、業務に対する名残惜しさが、辞めることの実感をぼかしているのだと思った。
あの案件は今後も無事に回るのだろうかという不安が今でもあるからだ。

それでも辞めたことに後悔はない。あの会社に六年目も居続ける理由はどこにもない。
業務に対する名残惜しさと、それ以外のしがらみとを冷静に天秤にかけると、
何度計っても後者の方が勝るのである。この判断は間違っていないと思う。

二十代後半を費やして経験したこの五年間は、ある意味ではとても刺激的だった。
腐敗した年配者に翻弄されることもあったけれど、歳の近い人たちと実にいろいろな話をした。
それは大学時代の自分は決して味わうことのなかった前進だった。
僕はこれを糧にして成長できるだけの可能性はまだなんとか持ち合わせていると思っている。

何故仕事をするのか。それは結局のところ、仕事をしたいからするのである。
仕事をしたくないのであれば、しなくてもいい。
世の中はうまくできている。

人生はゆるやかな坂道である。
次に出会う仕事も、さまざまな苦難がありながらも僕にきっと何かをもたらしてくれることだろう。

働くということ” へのコメントが 1 点あります

  1. 誰かに必要とされるために働けるなんて二の次で、自分がのたれ死しないで生きていくためだったり、誰かを守っていくために働くのが大部分の理由だと思う。

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