#5604

僕が一人暮らしをする理由


独り言

僕はこのブログを通じて、これまで14年半以上の間にさまざまな悩みを書いてきたけれども、
敢えてここまで避け続けてきた、僕という人間の根本にかかわる問題がある。
今日はそれを書いていきたい。

それは、一言で言えば、家庭の失敗である。
僕の家はいびつな空間であり、僕はそのいびつな家の中で生きざるを得なかった。

人は、意識的にしろ無意識的にしろ、選択可能な最善を選んで自分の人生を歩んでいる。
しかしその選択肢というものは、他人に与えられるものに過ぎない。
僕はこれまで、自分は自分なりに
ある種の必然性を持ってこれまでの人生が形作られてきたと信じてきたが、
ある日、与えられた選択肢そのものが社会からかけ離れていたものであることに気が付いた。
僕には年齢相応に与えられていないものが多くあったのである。
僕の人生は、その可能性の多くを親によって奪われていたのだった。

自分の人生の責任を親に押しつけようなどというつもりはないし、
ここでそれに対する不平不満を言ったところで何にもならないことはよく分かっている。
しかし、それこそが僕が一人暮らしをする理由なのである。

世間体や自尊心を無視すれば、一人暮らしはコストパフォーマンスが悪い。
食費も家賃も、親と共存している方がコストは低くなるに決まっている。
家事も少なくともすべてしなくていい。一日のほとんどすべてを趣味か仕事に充てられる。

ところがそれは親が健在である場合に限る。
計算すればすぐに分かるが、自分も親も就職年齢である期間というのは意外なくらい短い。
30代に突入すればあっという間に親は還暦を迎えることになる。
実家暮らしがコストパフォーマンスに優れているのは、親も十分な収入を得ていて、
自分がそれに寄生していても経済的に問題がない場合に限る。
では年金生活が始まったら?
自分は親の年金に依存してまで実家生活するのだろうか、ということになる。
そんなことは経済的事情が許さない。
よって、それまでには世間体や自尊心云々を抜きにしても自立しなければならない。

その日がもうすぐ迫ってきているというのに、父親は何も言わない。
いつからか僕の親は将来のことを何も言わなくなった。
何故なのかは分からない。思っていた家族像とかけ離れたコミュニケーション不全の実態に、
半ばうんざりした結果なのかもしれない。そう、僕たちは何も喋らないのである。
母親一人の負担によってのみ、家族という形態をギリギリ保っているにすぎない。
ほかの人間は母親以外とのコミュニケーションを取らない。
だから僕にとって兄弟とは、
今でも遊び相手として成り立っている一人を除けばすでに赤の他人である。
信頼関係が成り立っているなどとは思えない。

そんな「赤の他人」である家族との共存をひときわ難しくしているのが、実家の構造である。
実は、僕の家の子ども部屋は、兄弟全員分で一部屋しかない。
これが僕の家庭に対する最大の不満であり、実家暮らしを難しくしている理由であり、
学生時代に誰一人家に呼ぶことができなかった理由でもあり、
そして一人暮らしを望んでいる理由でもある。
逆に言えば、一人一部屋与えられていたら家を出る決心はもっと鈍っていたかもしれない。

想像してみて欲しい。成人した大人の男が、
お互いに一切喋らずに共用の一部屋で暮らしている姿を。
それが僕の実家のいびつな実態であり、僕が生活に閉塞感を感じている最大の理由である。
子ども時代は何の苦労もなかった。兄弟間でパーソナルスペースの共有ができていたからだ。
両親も、家を建てる段階では子どもは高校を卒業すれば当然出て行くものと想定していたのだろう。
ところが現実はまったくそうもいかなかった。

お互いに干渉して欲しくない。誰だって赤の他人と同居なんてしたくないだろう。
しかし、物理的制約からどうしても僕のパーソナルスペースを犯される場面がある。
それが少しずつストレスとなって積み重なっていく。
僕は心の底から、赤の他人たる兄弟にいなくなってほしいと思うようになっていった。
しかしコミュニケーションの機会がないからそれを発散する機会もなく、
いなくなってほしいと思っているのはお互い様であるため、ストレスの行き先がない。
ゆえに、ストレスは溜まる一方になる。

子ども部屋は当然寝室を兼ねているから、
自由に昼寝することもできないし、夜寝る時間も制限される。
電話など音が出る活動は隣に座っている赤の他人に筒抜けになるのでできない。
買い物にも強い制限がある。置き場がないから漫画を買う余裕すらない。

そもそも我が家は昔から強い行動制限があり、まずお小遣い制度がなかった。
だから自由に物を買えるということがそもそも少なかった。
父親は自分の中卒までは非常に厳しい性格で、勉強を強いる反面、遊ぶことを良しとせず、
食事中にテレビを見ることも許さなかった。こちらの主張は一切聞かないが説教好きでもあった。
叱られたことは多々あるが、褒められたことは記憶の限りでは一度たりともない。
それどころか、親子間の「対話」が成り立った試しすらないのだ。
その結果、兄弟の誰もが自己肯定感が低く、視野が狭く、勉強嫌いであり、
ゲーム・ネット好き、世間知らずのコミュニケーション障害者に育ったのは何とも皮肉が効いている。
僕は親を憎んではいないが、こんな親にはなりたくない。

何も与えられなかった僕たち兄弟が行き着いたのはインターネットだった。
インターネットに繋げれば、お小遣いがなくともコンテンツは無料で浴びるほど多くある。
だから必然的に兄弟は誰もがインターネットに依存するようになり、それ以外を求めなくなった。
そうやってお互いに狭い世界で生きてきたからこそ現実のパーソナルスペースを必要とせず、
そのおかげでこれまでの家庭生活がギリギリ成り立ってきたとも言える。
お互いに主張したいパーソナルスペースがもっと広かったら、事態はこれでは済まなかっただろう。
だからこそ、それぞれがこんな年齢にもなって自立できていないのだとも言える。
それぞれがこの窮屈な家庭に適応するためには、
視野を狭く、ゲームやネット好きであり、世間知らずであることは都合が良かったのである。

僕がこの家から出て行かなければならないと思ったのは、
インターネットだけの生活に限界を感じてきているからという理由も多分にある。
一度虚構世界から離れてしまったことで、現実の奇妙な実態に気が付いてしまったのだ。
他人の眼を振り切って過ごせる空間が存在しない息苦しさ。
寝ることも、物を買うことも、電話することさえも他人の都合を憚らなければならない窮屈さ。
一言も喋らないのに常にそばに赤の他人がいることの気持ち悪さ。
この転職の機を逃して次の会社も実家から通うことになったら、
また向こう数年をここで暮らさなければならなくなる。
まだ「赤の他人」の多くが未成年であった最初の五年間は耐えられても、
誰もがいい年齢になってしまったこれからの五年間を耐えられる気がしない。

したがって、僕が一人暮らしをする理由は心から安心できる場所が欲しいからである。
そしてそれは少なくとも実家ではない。
ここは、一人で生きていないのに一人暮らしよりも孤独である。およそ人のぬくもりが感じられない。

結局家族というのはなんだったのだろう。与える愛がなかったのなら、何故僕らを生んだのだろう。
親が死ぬまでに問いただしてみたい気持ちはある。
それでも、生まれてきてしまったものはしょうがない。
僕にできることは、選択可能な最善を選んでそれへと人生の歩を進めるだけである。

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