#5614

運動音痴の末路


今日の出来事

自動車学校に通い始めておおよそ三週間が経ちましたが、
なかなかのストレス源になっています。
第一段階の座学はとっくに終わって残るは場内教習だけになっているのですが、
なかなか終わる気配がないままゴールデンウィークも終わろうとしています。

なんで自動車教習が億劫でしんどいのか、過去の記憶と照らし合わせて考えてふと気付きました。
自動車教習って、学生時代の体育にかなり近い。
言われたとおりに身体を動かすために必要なのは適応力、運動能力、協調能力。
自動車を運転するには、そういう運動センス的なものが必要なんだと改めて気付かされました。
そして自分が何故こうもしんどい思いをしているのか。
それはきっと、無意識のうちに体育の授業のトラウマになぞらえているからなんだろうなと。

体育のことを書くのはリアルタイムに高校生だった頃以来になると思いますが、
おそらく当時の自分が書いているであろう通り、自分はとてつもない運動音痴です。
体育で評定「3」以上をもらった記憶がありません。
短距離走、マラソン、サッカー、バスケ、テニス、跳び箱、全部トラウマです。
唯一「なわとび」だけは得意でしたが、それ以外はもうダメダメです。
その上で体育というのは協調性を養う場でもあり、
自分は体育の時間では常に誰かに迷惑をかけ続けてきました。
少なからず性格形成のマイナス面にも荷担した諸悪の根源こそが体育という科目です。
あれさえ無かったらもう少しポジティブな性格になっていたんじゃないだろうか。

そういうわけで自分は体育ならびに運動に関して良い思い出がまったくありません。
落ちぶれて当然の人間としてこれまでずっと生きてきました。
だからきっと、心の奥底では車の運転も「おちぶれて当たり前」だと思っている。
実際に難しいし苦戦しているから擁護の余地がありません。
「誰かに教わりながら身体を動かす」というプロセスがなんかもう生理的にダメなんでしょうね。

加えて、動機も不純です。
普通に考えて、東京就職を目指しているのに自動車免許を取りに行くのは行動が矛盾しています。
本当に東京に行く気はあるのかと自分ですら思ってしまう。
それでもやっぱり、今後死ぬまでの数十年間のうちに
車を必要とする場面を一切避け続けられる保障があるわけでもない。転勤だってあるかもしれない、
東京が嫌になって結局Uターンすることになるかもしれない。
そもそも今回の転職活動で東京に行くことができないかもしれない。
そういう諸々の可能性を考えると、免許を取りに行くのはいつかやらなければならないと思うし、
いつかやらなければならないのなら、今が最大のチャンスなのは間違いないんですよね。
逃げ続けても最終的には逃れられないのであれば、早めに嫌な目に遭っておくのが得策だろうと。

でも、少なくとも免許を取ってすぐに車に乗るつもりはありません。買うつもりもないし。
今免許を取ろうとしているのは未来への投資みたいなもので、
現実にどうしても必要というわけじゃない。
だから余計に、「頑張って取ろう」というモチベーションを保てないんですよね。
それよりは「今だけの辛抱だから」という気持ちの方がどうしても強くなってしまいます。
そういう意味では、将来もっと歳を取ってから、
本当に必要になってから取りに行くのが得策だったかもしれません。
今後また今のように丸一ヶ月以上も空く日が来るのかは分からないし、
もっと年齢を重ねてから行くのはそれはそれで今以上にしんどいとは思いますが。
地元では、本来なら大卒前に取って当たり前の自動車免許。
それを逃げて逃げて逃げ続けてようやく向き合っているのだから、しんどいのは当然ですよね。

当初は二ヶ月間でさくっと取るつもりでしたが、
思っていた以上に盛りだくさんでやることが多いし何よりもしんどいので、
職業訓練と並行しながら最長で9月までに取れればいいかなと思っています。
それでもおそらく週一程度では終わらなそうな予感がしていますが、
学校が終わってから通えるかどうかは学校が始まってみないとなんとも言えないので
とにかく学校が始まってからのことについては考えないことにしています。

とにもかくにも、これのおかげで4月後半からは正直心の安まるところがありません。
休み続きなのに趣味関係がちっとも動かないのも少なからずこれのせいだと思っています。
メンタル弱すぎと言ってしまえばそれまでなのですが、
学生時代、もう少し真面目に体育やっておけばよかったなぁと。
まぁ、そんな風にどうしようもないものに原因を求めたところでどうしようもないんですけどね。

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