#5616

無知という名の不自由


今日の出来事

ほぼ貫徹で鬼のように眠いので時事問題についてさらっと。

今日は10連休明け。
夏休み明けなんかでも恒例ですが、学校の現場では不登校に最も陥りやすい時期が休み明けです。
だから各種メディアは自殺等防止のために、「無理に学校に行かなくていい」
と不登校を責めないようにするのが近年のマスメディアの傾向でもあります。
そんななか「学校なんか行かなくていい!」と発信するYouTuberが話題になっています。

「不登校は不幸じゃない」10歳のユーチューバー – 琉球新報

わけあって不登校になった10歳の少年YouTuberこと「少年革命家ゆたぼん」が、
「ゴールデンウィークが明けても学校に行きたくなければいかなくていい、
小学生は学校に行く権利はあるけど義務はない!」
と、声高に発信しているというのです。自分が見る限り、世間はこの声を受け入れていません。
なぜなら、この子が不登校になった理由というのが、
宿題をやれと言われてやらなかったら学校でやらされたのが屈辱的だったからというのです。
別にいじめられているわけでもなければ学校がブラックであるというわけでもない、
先生の言いなりロボットになるのが嫌だから不登校になっているというのです。
だから学校に行っていないということに何か負い目を感じているわけではないんですよね。
むしろ学校に行かないことでYouTuberとしての活動を謳歌しているように見えます。

なんかもう、普通の不登校とは価値観が違いますよね。
自分は不登校になったわけではないので不登校の辛さって親身に理解することはできないのですが、
でも不登校になる人ってきっと、不登校であることに多少なりの罪悪感を抱いているだろうし、
それ自体は紛れもなく辛いだろうと思うんです。
でも学校に行ったら、いじめや差別などによってもっと辛い目に遭うので、
致し方なくその選択をしていると思うんですよね。

少年革命家ゆたぼんの不登校は、宿題が嫌だから不登校になっているだけで、
そんなのは言ってみればただの「逃げ」でしかないわけです。
社会に適応しようとすることから逃げているだけ。
社会に適応したくてもできない人とは全然違う。
社会に自分から背を向けた人に、いったい誰が同情するのでしょうか。
そんな人が、まるで不登校の代表選手かのように祭り上げられている現状は、
なんというか異常だと思いますね。
自分はこの幼いYouTuberよりも、これを取り上げた琉球新報というメディアに疑問を感じます。
この子が大きくなってからどう思うかとか、世間はこれを見てどう思うのかとか、
小学生YouTuberを祭り上げるリスクをまるで考えなかったんでしょうかね。

人生において、学校に行かないという選択肢もある。
そういう考え方もアリだとは思いますが、
それはあくまでも学校の代替になる「何か」があってこそだと自分は思います。
不登校の子が集まるフリースクールやオープンスクールを小学校の代わりの場とするなら、
小学校に行かないという選択肢もアリでしょう。
でも、単に家に引きこもって社会活動を放棄して、それを「自由のため」と正当化するのはおかしい。
義務教育を通過しないで無知のまま大人になる方がよっぽど不自由です。
そして我が子が不登校になり、動画でそれを正当化しているという現状を許している両親こそが
軽く育児放棄をしているように見えるというか、異常だと思うんですよね。

宿題を人並みにできないクズ小学生を、更生させるどころかYouTuberになることを許してしまう親も、
その動画をダシにしてお金を稼ごうとする琉球新報も、
やっぱり汚いところには汚い大人がいるんだなあというのが率直な感想です。沖縄って怖い。
そんな汚いところで育った子どもは、将来どうなってしまうんでしょうね。
10歳の時点で社会適応ができていないというのもなかなかですが、
その歪んだ考え方でも将来社会に入っていくことはできるものなのでしょうか。
もしできるのだとしたら、社会って寛大だなぁと思わずにはいられません。

無知という名の不自由” へのコメントが 1 点あります

  1. このニュース、非難する声が多く聞かれますが、自分はこの問題は安易に批判できるものでは無いのではと感じたのでこの場をお借りして意見を述べさせてください。
    記事では宿題すらやれないとありますが、例としてガウスに宿題として一桁の足し算の計算ドリルを解かせる事を想像した時、宿題をやらないというのが明確に社会悪かと言われると個人的には疑問です。恐らくガウスにはもっと高度な問題に取り組んでもらった方が良いでしょうし、件の彼もそうであるかもしれません。
    またYoutuberは合法的な収益を得ることが出来ますし、娯楽の提供という社会貢献を行う社会活動と見れるのではと思うので、この点で社会に背を向けているとは見れなかったです。
    よって新聞記事のみから彼が社会を捨てだらしなく生きていると結論付けるのは尚早でしょう。
    Youtuber一本でやっていくのは並の人間には無理ですし、学校教育の放棄は失敗時の再起を困難にします。総じてリスクが高い人生設計でしょうが、誤っていると明確に否定できる材料が無い以上安易に否定するのは好ましくないなと思ってます。特に日本が個人主義である以上こういった定型から外れた生き方をしようとする人に対して、第三者たる我々はリスクとリターンを明示し私見を述べる以上の事をする権利は無いでしょう。
    実際のところ彼がどう考えているのか私にはわかりませんし、その状況で彼の人生を批判するのは好ましくないのではというのが所感です。

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