#5628

意識高い非生産


空想

大学院時代に知り合いが自称していたことでもあるんですが、
自分って割と「意識高い系クズ」だと思うんですよね。
人生はかくあるべきという固定観念が強くある。けれどそれを実践できているわけではない。
何々はやるべきではないという自分ルールが多くありすぎて行動の幅を自ずから縛り付けている。
綺麗な言葉は思い浮かぶけれど、やはりそれも行動が伴っているわけではない。
要するに、考えている「こうありたい自分」と、現実にいる自分がかけ離れすぎている。
いろいろ考えてはいるんです。将来のことや目下やるべきこと、やりたいこと。
けれど、何一つ実践できていない。それがクズでなくて何なのだっていう話ですよ。

なので、最近すごく思うのは、「自分は何々をしたい」と思うその程度の高さ、
いわばセルフイメージをいかに落とすかが、
行動力を取り戻すためのキーになるのではないか、ということ。
もちろんこれも現実が伴っていない妄想の一種に過ぎないわけですが、
自分はとにかく妄想癖が自分で思っている以上に酷いみたいであるということに
最近ようやく気付きつつあるので、まずそこからの脱却を目指したい。
妄想はふと気が付くと現実の自分が手に負える範囲を軽く飛び越えてしまうので、
それをなんとか制御する方法はないものかと悩んでいるところです。
誰か知っていたら教えてください切実に。

とりあえず思いついたものとしては、
例えばAというタスクを思いついたとしたら、それをできるかどうかという計算を始める前に、
Aがダメだったときの代替となるB案も同時に探してみる。というものです。
ある案の代替案というものは、何の脈絡もなく思い浮かんだアイデアよりは
比較的現実的なところに落ち着いていることが多い……ような気がします。
2つの案を同時に出すというのは、よく言われる「目的を多角的に見る」ことの実践とも言えますね。

そういう検証をしないと、セルフイメージは勝手にどんどん上がっていき、
「自分ができる範囲」を飛び越えてしまいます。
自分は何々をすべきだという確信があるのに、それができない自己矛盾に陥ってしまう。
これはあの本で言うところのセルフイメージとは少し違うのかもしれませんが、
自分にとってはとにかくこれが今のところ何よりも優先すべき心理的課題です。
これがあるおかげで、自主的に何かをしようという気になれない。
そのため今現在は、平日よりも休日の方が苦しいという意味のわからない状況になっています。
平日はやることが自動的に発生する分、楽なんですよね。

こんな自分を客観的な視点で見ると、なんて非生産的なクズなんだろうと、
本当にこれが自分なのかというある種の絶望感さえ生まれてくるわけですが……。
ネガティブ要因をすべて片付けたらこういう気持ちにはならず、
自然と生産的な物事に向かって手を動かせるようになるものなのでしょうか。
つまり今の自分は社会的に特殊な立ち位置であることに
自分で思っている以上に不安感を大きく感じているということなのでしょうか。わかりませんが。
これはきっと、今までは会社に時間を圧迫されていたからこそ
気付かずに素通りしてきてしまった問題なんでしょうね。

偶然にも社会的な一段落と趣味的な一段落が同時に発生した2019年は、
自分にとってのある意味での「谷底」のような一年なのかもしれません。
どちらにしても、ここから這い上がるためにはある程度のエネルギーが必要なのかも。
とはいえそういう「妄想」もまた、行動力を減衰させる原因ではあるんだろうなぁ。
もしかしてこうしてブログを書くこともまた、行動力を抑制させているのではないか??

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