#5695

やる気について


空想

今日は格別にやる気の出ない一日でした。
いや、まぁこの頃毎日のようにやる気が出ていないと言えばそうなのですが、今日は特別。
いつにもましてひどい。本当に帰宅後の自分はナマケモノか何かのごとく存在です。

でも、そもそもやる気って何なんだろう?
と思ったとき、今日新しい視点をひとつ発見しました。
というのも自分は何かを成し遂げたときに「やる気があった」と振り返り、
何かができなかったときを「やる気がでなかった」と振り返っていることに気づいたんです。
言葉にしてみれば当たり前なんですが。

それまでやる気というのは、自分を突き動かす原動力のように思っていました。
そして自分を動かす原動力は、自分で動かすことはできない。
外部刺激、健康状態、その他諸々が重なり合って「やる気」というものは生まれるのだと。
もっといえば、そういう自分の状態をポジティブに捉えられているときのみ
考えていることが行動に変換できるものだと思っていました。
ネガティブだとやる気は出ない。やる気がでなければ成果は出ない。

でも、それを正しいと仮定するとなると、
何らかの行動をしたときは、常にポジティブであり、
外部刺激、健康状態、その他諸々が良く絡み合ってやる気が出ている状態なのか?
ネガティブだったり、やる気がなければ常に行動できていないのか?
そんな両極端があり得るのかと言われると、かなり怪しいように思います。

ネガティブでも行動できるやる気の状態もあるかもしれない。
ポジティブでも行動できないやる気の状態もあるかもしれない。

今までの自分は、自分の精神状態等の準備ができなければやる気は出ないし、
やる気が出なければ行動はできないものだと思っていましたが、
実はそうではないのではないか。
やる気が出なくても行動できることはあるのではないか。
そう思えるようになってきました。

じゃあ現実問題として帰宅後の自分がナマケモノになってしまうのは何なのか。
やる気の有無が関係ないのだとしたら、行動できない原因は何なんだろう。
これについては推測がふたつあります。

ひとつめの推測は、すでに自分のキャパシティを超えているから。
よくよく思い返せば、やる気はないといいながら『ポケモンGO』関連は最新を追い続けていて、
毎日よく歩いているんですよね。だから今、『ポケモンGO』のやる気はある。
けれど、それで精一杯になっていて、それ以外のやる気がない、ということなのではないか。
だから外出時はやる気はあるけれど帰宅後は極端に脱力してしまうのではないか。
やる気というものがそもそも存在するのかは知りませんが、
もしあるのだとしたら、それはおおよそひとつのことにしか集中できないものなのかもしれません。
なので、『ポケモンGO』が落ち着いたら自然と他のことに目が向くのかも。

ふたつめの推測は、そもそもタスクとして設定している作業群を、
「やる必要がない」ということを無意識が薄々気づいているから。
今自分が「やる気が出ない」と言っているのは、
帰宅後に「ぜひやるべきだ」と思っていた数々のタスクです。
それは別にやりたいと心から思っているわけではない、けれどやっておいた方がよさそう。
というものが多いです。
でも、よくよく考えてみれば、突き詰めればそれはやる必要がないのではないか、
ということも薄々思うわけです。
やっておいた方が自分の自尊心を守る上では絶対いいに決まっている。
けれど、自尊心を守るだけために精神力を使うことができない。
つまり、それだけ今、自分は自尊心を軽視しているのではないかということです。

だからもしこの推測が合っているのなら、
今の自分がやるべきなのはやる気が出るのを待つことではなくて、
その作業を「自分が」する意味を改めて考えることと、あとは『ポケモンGO』を控えめにすること。

もちろん、そもそもの問題として心身が健康でないからという可能性も十分にあります。
自分にとっては眠気がそれに該当しますね。眠ければやる気が出ないのは当たり前。
もしかすると考えるまでもなくこれが根本的な要因なのかもしれない。

そもそもやる気が出なくて何が悪いのか。
非生産的な日々を送ることで、何か強烈なしっぺ返しが来るのではないかと思い込んでいるけれど、
実際のところそれも幻想なのではないか、と思うわけです。
一日が非充実だったからといって借金ができるわけでもないですしね。

見えないやる気に振り回されるよりも、もう少し自分本位に生きてもいいのかもな、と。

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