#5733

風車は回り続ける


独り言

今日でこのブログを続けて15年が経った。
2004年09月01日、あの高校一年二学期始業式の日から、
実にさまざまな紆余曲折を経てここに至った。
一見何も変わらないようで変わり果てた周りの環境、そして自分自身。
それでもブログはいまだ変わることなく続いている。

何故やめないのか、何故続けていけるのか、そんな問答はもう飽きた。
これが自分にとっての人生の一部である以上、それは受け入れて当たり前のものだからだ。
しかし、こういった節目節目に差し掛かるといつも疑問に思うことがある。
「ブログを15年続けているということは、どれほど凄いことなのだろうか?」と。

ずっとひとりで続けていると、その感覚が分からなくなってくる。
僕は成人後、他人にこのブログを紹介するようなことがなくなった。
それは何故か。このブログを続けていることを誇りに思えなくなったからだ。
2010年代初頭の僕にとって、ブログとは「続けているから続けている」ものでしかなく、
それ以上でもそれ以下でもなかった。
それも、ギリギリなんとか続けていられるという綱渡りのような時代だった。
黎明期は他人に見てもらって自己顕示欲を満たすための媒体だったかもしれないが、
一人で綱渡りすることに慣れてしまったせいか、そのように思うことはさっぱり無くなった。
一日一本以上投稿するという自分ルールに囚われ、投稿するだけで精一杯になり、
ブログに自分なりの付加価値を込めることができなくなっていった。
そして、続けているだけでそれ以上でもそれ以下でもないこのブログを、
より多くの人に読んで欲しいというような欲求はいつの間にか立ち消えていた。

アクセス数に一喜一憂することがなくなり、コメントは来ないのが当たり前になった。
それでも僕にとってのブログは、記憶拡張と自己分析と精神安定のために大いに価値があった。
僕にとってのブログとは、自分による、自分のためのブログに過ぎなかったのである。
それはそれでそれなりに利用価値はあったと思う。
ブログがなかったら僕は今でも憂鬱のトンネルを抜け出せていなかっただろう。
しかし、そのように「自分のため」という方向性に振り切ることで、
ますます他者の目を通すことがなくなってしまった。
もはや僕は、他者がこれを読んでいることを想定していない。
次第にブログの内容は、良くも悪くも心の有り様をそのまま反映するようになっていった。

だからこそ、たまに分からなくなるのである。
何年もブログを続けていること、それ自体に誇りを持ってよいのだろうか、と。

ブログが人生の一部であり今後も永く続けていくべきものであるとしたら、
それを続けていくことに誇りを感じられるようになるに越したことはない。
誰にも見つからないところでこそこそと続けていくものを人生の重要課題に据えるには、
今後の三十代、四十代を生きて行くには無理があろうと思われる。
自己満足というエネルギーだけで物事を継続させるのに限界があることは、
今までにも何度も痛感させられたからだ。

16年目は、少なくともブログを堂々と続けていけるようになりたい。
ゆくゆくは、ブログを続けていることそのものに誇りを持てるようになるために。
そのためにできることはたくさんある。
興味に素直になること。黒歴史を掘り起こしすぎない工夫。前向きに物事を捉える世界観。読者想定。
それはまるで、人生そのものをよくしようとする所作ではないか。

ブログを堂々と続けていけるようになったら、人生も堂々と歩けるような気がする。
僕にとってブログとは、そのように人生と表裏一体の存在なのである。

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