#5737

ブログの目標


空想

本来なら完成形を“独り言”で扱うべきテーマですが、
こんなことを思いついたよという足跡を残すために
敢えて自分なりの答えが出ていない状態のまま疑問の形にして書き残しておきます。
というのも、そもそも「意欲」って何なんだということが、ふと気になりました。
ヒトの行動を司っている意欲、
その正体を突き止められればもっと自分自身をコントロールできることに繋がるのでは?

人の行動を「やりたい かつ やらなくていい」「やりたくない かつ やらなければならない」
「やりたい かつ やらなければならない」「やりたくない かつ やらなくていい」
と四分割したとき、「やりたくて、やらなければならない」ことが必ず意欲的になれるのかというと、
意外とそうでもない。
自分を振り返ってみると、興味は間違いなくあるし、自分がやるべき役目にあると思っているものも、
それでもどうしても手が出ないときというのはあります。
逆に、やらなくてもいいどうでもいいことに夢中になったり。
つまり、ヒトのやる気は内外の動機付けとは実はあまり関係ないのでは……?
と思ったりもします。

でも、それでもヒトは社会性動物として、何某かの選択や行為を行っているわけで、
それはやっぱり何かしらの意欲があってこその選択だと思うんですよね。
それは一体どこで決定しているのか。

意欲の根源についてもうひとつ考えられるのは、健康状態です。
ヒトの脳はドーパミンという神経伝達物質が意欲を司っていると考えられているので、
そのドーパミンを作るために必要な栄養素が不足すれば、必然的に意欲は低下します。
じゃあドーパミンが行動のすべてを操っているのかというと、そうでもなさそう。
自分は今、おそらくこのドーパミンがかなり欠乏している状態にあると思っています。
何故そう言えるのかというと、
心療内科からもらっている抗ストレス薬にドーパミンを抑制する作用があるからです。

じゃあ、今はあらゆるやる気がない状態なのかというと、半分は正しくて半分は間違っています。
以前、例えば去年の夏と違ってブログは安定的に書くことができているし、
節目節目にやらなければならないことをサボるようなことはなくなりました。
去年の夏は本当にどん底だったと今改めて思うわけですが、
あの時よりは精神はかなり安定しているという実感はあります。
ただ一方で、心の底から「これって楽しい!」と思うようなことは激減しました。
例えば去年はMTGやらフォートナイトに夢中になっていましたが、
今年は春以来未そういうものと一切出会えていません。趣味の空白が続いています。
そういう意味では、今はものすごく意欲が低下している状態であるとも考えられます。
ただ、それとは別に自分を慣習に従って無理矢理動かす力は去年よりはあるらしい。
この、「自然な意欲」と「自分で作った意欲」の違いは何なんだろうとも思うわけです。

それから、意欲低下は「加齢による必然」であるとも思っています。
歳を取れば取るほど、いろんなものを見知ってしまって新鮮味がなくなってくる。
何も知らなかった頃のワクワク感はもう味わえないということです。
今までは、持ち前の検索力によって新しい娯楽を発掘し続けてこれた感がありますが、
それが通用したのはせいぜい2016年くらいまでだったように思います。
歳を取れば取るほど、「今日」が「昨日」の続きであるという感覚が拭えなくなる。
果たしてこれに抵抗する術はあるのかどうか。

こうして考えると、意欲とは何かという問題には
生活に根ざしたさまざまな問題が関わり合っているようにも思えてきます。

自分は今まで、曲がりなりに不安や焦燥、嫉妬や孤独感といった
心のネガティブな側面について考えてきました。
“独り言”を読み返すと、特にそういった感情に対する分析が多くを占めています。
しかしそれらの原因は「自分の欠点と何某かとの不必要な関連付け」にあるとようやく気づくことができ、
今のところ自分はそれに自分なりにかなり納得しています。
なので、今後はひとまず不安やらなんやらについて考察する必要がなくなりました。
2009年頃から続いてきた憂鬱な話は、2019年で一段落したかなと思っています。
今後また新しい憂鬱な感情が湧き出てきたら、そのたびにそれへの対抗策を調整していけばいいし、
今は敢えて昔の黒歴史を掘り返して考察を深めるときではないかなと思っています。

しかし、そういった諸問題を棚に上げると、
今度は「前に進むための問題」というのが浮かび上がってきていることに気が付きました。
それが、例えばいかにして意欲を出すかといった問題であるというわけです。
これは、「自分はいかにして自分を自分たらしめているか」という
アイデンティティの問題とも関わってくるような気がします。

ネガティブ思考の問題も一定の結論が出るまでに書いて書いて書き続けて十年かかったので、
今度のこれもそう易々と結論が出るとは思っていませんが、
これにも自分なりの一定の結論を出すことができたらいいなぁと思っています。
とはいえこのブログは客観的に正しい価値観の提供を目指すものではなく、
いかに執筆者および未来の執筆者が納得できるかどうかという点に重きを置いているので、
どちらかというと心理学的というより、哲学的な考察をしていくことになると思います。
エビデンスを要求されても出せません。

自分が今までに書いてきた随筆を哲学だなんて言ってしまうと
本物の哲学者に怒られてしまうかもしれませんが、
自分なりに何かしらの問題に取り組み、そしてそれを自分なりに考察することは
とても大事な営みだと思うし、それも個人の哲学と呼んで差し支えないのではないかと思っています。
座右の銘だって、立派な個人哲学だと思うんですよね。
自分はせっかくブログという媒体を持っているので、
ブログを活かして自分哲学を磨いていけたらいいなと思っています。
それの完成こそが、生涯をかけて書くブログのひとつの目標なのかもしれません。

コメントを残す